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【記者コラム】平成の鬼脚が語った現代との違い

 17年12月30日付の本紙でグランプリ検討をした小橋正義氏。16年12月に引退したGⅠ8勝、GP1勝の“名刀正義”に話をうかがう時間が持てたことで貴重な平塚シリーズとなった。

 小橋氏は平成の鬼脚。元祖・鬼脚は初代グランドスラマー(特別競輪全冠制覇)の井上茂徳氏。87年5月のデビュー以来、徹底先行でS1に駆け上がった小橋氏は西の先行として井上氏らに任されて風を切った。

 その小橋氏が「一緒に練習をしに行っていいですか?」と井上氏を頼ったことから小橋氏が佐賀で練習をするようになった。その過程で「僕はこれ(番手)でやっていく」とマーク屋を自分の仕事に決めた。「(当時は)他選手にかなり厳しく言われました(苦笑)」と振り返るが、自分の信念に妥協は一切なかった。

 鬼脚師弟の連係のターニングポイントとなったのは94年3月の静岡ダービー。6日間の売り上げが430億円超えという全盛時の特別競輪。決勝は海田和裕(当時三重)に井上―小橋で並び、小橋が直線追い込んで2度目のG1制覇。その後に井上氏が「次からは小橋が前回り」と言った潔さも記憶に残る。

 小橋氏は翌95年3月に松戸でダービー連覇を達成、確固たる位置を築いた。当時は神山雄一郎と吉岡稔真氏の東西横綱時代。しかし追い込みの小橋氏が主役になることは少ない。それでも“どの位置取り?”は常にポイントの一つだった。

 当時は小橋氏も吉岡氏も口数は少ない。「(あいさつはするけど)戦う相手と話すことはなかった」と振り返る。「僕たちの時代と今の時代の違いは(戦う)選手とにこやかに話しているところかな」と語る。そういえば2人がいるグランプリはピリピリ感が凄かった。時代を築いた選手の軌跡は競輪の魅力。きょう18日からはその一人に近づきつつある平原が大宮記念に出場。

※18年1月18日付・東京版掲載

 ♠中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)熊本県生まれの55歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に関根幸夫(神奈川)ら59期生のデビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋30年。通算車券購入額上位選手①神山雄一郎②鈴木誠③小橋正義。


96年12月30日 立川競輪グランプリ 神山雄一郎(右1番)をかわし優勝する小橋氏