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【記者コラム】強烈なできごとが次々・・・ 「いわき平」の経験

 廃止された花月園、大津びわこ、一宮、観音寺は取材に訪れたことがあるが門司、西宮、甲子園はない。競輪通なら、この説明で記者のキャリアが分かるだろう。現在、競輪場は北は函館から南は熊本まで全国に43。「好きな競輪場はどこ?」と聞かれれば、少し迷って「(いわき)平」と返答する。強烈な出来事が走馬灯のように浮かんでくる。

 あの日も平でペンを走らせていた。11年3月11日。FⅡ戦の前検取材を終えてパソコンに向かっていた時だ。震度6弱の揺れが襲った。感じたことがない大きな横揺れ。机の下に身を隠した。時間にして1分以上。あまりの恐怖に、もっと長く感じた。選手たちは揺れが止まると安全なバンクへ続々と出た。携帯電話は外部と連絡が取れないように預ける規則だが「「家族が心配。連絡を取らせてほしい」と管理に詰め寄った。記者はネットがつながらない状況下で原稿をFAXで送信。手書き原稿は初めての経験だった。その日は訳あって記者席で一晩を過ごした。競輪場で夜を明かしたのは後にも先にもこの時だけだ。

 08年10月のFⅡ戦では、出走した9人全員が失格する仰天事件に直面。13年12月のFⅠ戦の前検日には、レースに使用する自転車が届かず6選手が契約解除される、まさかの事態に遭遇。昨年8月オールスター最終日の周回板誤表示によるレース不成立も腰が抜けるほど驚いた。平は珍事にも事欠かない。

 街に繰り出せばフィリピンパブにハマったことや、見知らぬおじさんと意気投合して飲み明かしたこともあった。長い直線との相性は決して悪くなく、財布が曲がらなくなったことも、数えられる程度だが経験した。何かと縁があったいわき平競輪場。さまざまなな事件、事故は間違いなく僕を競輪記者として成長させてくれた。

 ♤小野 祐一(おの・ゆういち)1983年(昭58)10月26日、秋田県生まれの34歳。06年スポニチ入社、大阪本社で2年、08年から東京本社で競輪担当。いわき平で最も印象に残ったレースは11年9月A級決勝。悪性リンパ腫から復帰した高谷敏史のV。

※18年3月15日・東京版