HAPPY NEW YEAR~! BIGMA~N!

 今回からコラムを担当させていただくことになりました、BIGになる男、BIGMAN藤井優希です!えっ!?連載コラムですか?僕なんかでいいんですか!?このたび、スポニチさんから声をかけていただきまして、僕なんかでいいのかと悩みました。競輪界を盛り上げるためにも引き受けさせていただきました!今後ともよろしくお願いします。

 さてさて第1回ですので自己紹介を。山口支部の125期、藤井優希です。12月24日、クリスマスイブで26歳になりました!高校、大学時代はラグビーをやっていました。競輪との出会いはのちほど…。タイトルにもありますが、BIGMANへの道とは、なんたることなのか。そのあたりから説明させてください!

 大学4年の時、みんなが就職活動をする時に「ラグビーのプロになる!プロになる!それが就職活動や!」って言ってて、試合中に脳しんとうになって何もできず終わって…。もうラグビー辞めようって思った時に友だちから〝辞めたら終わり〟っていう歌、SEAMOの「Continue」って曲を聴いてみて!」って言われて、もう一回続けてみようって思ったんです!

 みんなから「おまえは無理よ!」って言われてて、反骨心だけでやってたところもありました!ポジションはフランカー。タックルが得意だったので。脳しんとうはタックルをした時になりましたね。〝辞めたら終わりなんや!〟ってひたすらやっていたら、あるチームから内定をもらったんです。でそのチームの練習に参加させてもらって、試合にも出るようになって、思いっきりタックルしたら思いっきり脳しんとうしてた…。パって目が覚めたら空を見ていた。脳しんとうプログラムで練習もできない日々があって…。ギリギリで内定が取り消されてしまいました。

 僕の親父がめちゃめちゃラグビー好きなんですよ。内定をもらった時はやっと親孝行ができるって思ってて、親父もめっちゃうれしがってて。でも取消が決まって、リクルートの人と話していた時に、人生で初めて無口な親父が涙を流しているのを見て3人で泣いて。そこで初めて挫折感を味わったんです。そこから2週間、落ちて落ちて。負のオーラ満載になってました。

 そんな時に大学ラグビーの松本監督にご飯に誘ってもらって、「お前、どうする?」みたいになった時に三谷竜生さんがグランプリを勝った時のYouTubeを見せてもらって、1億円の賞金ボードを掲げたのを見て、〝うぉー〟って、ビビっ!電撃が走ったんです。でも競輪ってなんすか?まず競輪を知らんくて僕。ラガーマンから競輪に行って、こういう奴がいるぞ!っていうのを聞いて「俺、競輪選手になります!」って言って。目に光りが宿ったというか。で、次の日からなんか分からないけどスクワットを始めたんですよ。知らないから。何も分からないからネットで調べて。親父にも「競輪選手目指す!」って伝えて。やっぱり親父の涙が忘れられなかったので。〝これで絶対に親孝行するぞ!〟っていうのをモチベーションにずっと1人で孤独に、〝やってやる!〟って思ってました。

 1年目は適性で受験して1次は通ったんですけど、2次は終わった瞬間にこれは絶対ダメだったなって。もう合否が分かる前に、次は技能でやろうって切り替えた。それまで久留米や大分の方たちにお世話になったんですが、実家のある山口に帰りました。

 山口支部に行ったら桑原大志さんを見て、ビビっ!って来たんです!この人に付いていけば絶対に強くなれるって思っていたら、次の日に桑原さんから「俺が師匠になるから」って言ってくれたんです。「はい!お願いします!」って答えてました。

 それで…え?もう今回はここまで?まだ半分も終わってませんよ!てか、BIGMANのBの字も出てませんよ!

 というわけで、スポニチさんからあまり長く書くなと言われたから続きは再来週です!

(今後の出走予定)
12月30~1月1日玉野ミッドナイト
1月11~13日小倉ナイター
1月20~22日川崎ミッドナイト

 ◇藤井 優希(ふじい・ゆうき)1998年(平10)12月24日生まれ、山口県出身の26歳。 競輪選手養成所順位は67位。24年5月3日デビュー。師匠は桑原大志(山口・80期)。ホームバンクは防府。スポーツ歴はサッカー、バスケット、ラグビー。好きな食べ物は二郎系ラーメン、嫌いな食べ物は無し。173cm、78kg。血液型O型。