競輪70周年特集>②スポニチベテラン記者が振り返る、印象に残ったあのレース
91年ふるさとダービー福井
着を度外視したミスター競輪と鬼脚の大競り
西部総局・岡崎兼治
当時のスポーツニッポン(1991年7月7日付)
強い先行選手の後ろで激しくぶつかり合う〝競り〟は競輪の醍醐味でもある。91年夏の陣。ふるさとダービー福井の2日目の優秀競走で競輪界を揺るがす〝大事件〟が起きた。
90年に北九州から彗星のごとくデビューし、瞬く間に頂点にのぼり詰めた吉岡稔真氏の番手を巡り、中野浩一氏と井上茂徳氏がガチで大競りを演じたのだ。ミスター競輪と呼ばれた中野氏、片や井上氏は鬼脚の異名をとり、何度も特別競輪決勝で連係し実績を残してきた九州の〝ゴールデンコンビ〟だった。
91年3月の一宮ダービーで起きたいざこざが原因だったようだが、それは横に置くとして、イン中野氏、アウト井上氏で激しくぶつかり合うなど、着を度外視した両雄の競りは今でも脳裏に焼き付いている。ともにピークは過ぎていた。この先を占う意味でも大事な試金石だったに違いない。
93年宇都宮オールスター
神山伝説の始まり
東京本社・中林陵治
第36回オールスター競輪 地元宇都宮バンクでの悲願のタイトルにヒーローインタビューで涙が止まらない神山雄一郎
私は87年5月の花月園で競輪記者デビュー。以来、現場取材一筋32年。記憶に残るレースは数え切れないが、中でも1つ挙げるとすれば…。神山雄一郎が特別競輪初優勝を飾った93年9月の宇都宮オールスター。
神山は87年4月に競輪学校入学。121戦110勝、在校成績1位で卒業記念レースを完全V。翌年5月にプロデビュー、スーパーエリートとして出世街道を瞬く間に駆け上がった。〝タイトルは時間の問題〟と誰もが思っていた。
しかし92年3月ダービーで吉岡稔真(65期)、93年3月ダービーで海田和裕(65期)、同8月全日本選抜で高木隆弘(64期)が優勝。まさか後輩に先を越されるとは…。そんな気持ちの中で迎えた9月の地元宇都宮オールスター決勝戦だった。
高木を軸とする神奈川勢4人の連係をねじ伏せて真っ先にゴール線を駆け抜けた神山は泣き続けた。師匠の荒川博之(49期)と抱き合い号泣。神山の努力を知ってる選手仲間だけでなく競技会の職員も泣いた。フェンス超しのファンも「かみやま~」と叫び続けて泣いた。もちろん神山のデビューから取材を続けている私ももらい泣き。
神山伝説(特別競輪16回優勝)の始まりとなった優勝劇。
立川KEIRINグランプリ94~97
GP王者らとの不思議な縁
大阪本社・古川文夫
立川競輪GP 吉岡を差して94グランプリを制した井上。2着に昨年覇者の滝沢⑨が入った
内勤記者だった94年、競輪グランプリを初めて真剣にテレビで見た。鬼脚と呼ばれた井上茂徳の差しは惚れ惚れするもの。その翌年95年、まさか自分が担当になるとは想像も、していなかった。新人記者になってすぐに先輩の本田健三(故人)さんに誘われ初めて出会った競輪選手が井上茂徳である。「あっ、あの立川で、えげつない差しを見せた選手だ」と、すぐに気付いた。シゲさんの豪快な飲みっぷり、場を盛り上げる姿勢を見て、懐の広さを感じた。
95年グランプリを制した吉岡稔真
それから95年から97年のGPは全て現場で取材した。今、振り返れば不思議な縁を感じる選手が制した。95年、鎖骨骨折明けでもFI吉岡稔真には不思議なオーラがあった。見事な捲りで制した。
96年グランプリを制した小橋正義
96年、当方と同い年の小橋正義が心の師と仰ぐ井上茂徳ばりの鬼脚で優勝。
シャツをファンに投げ込み上半身裸でウイニングランをする山田裕仁
97年、東海の帝王・山田裕仁が神山の番手にハマって抜け出し、無冠の帝王を返上した。94年から97年のGP王者は今やチーム・スポニチのメンバーである。
今年も、この4人の英雄たちと同じ記者席でワイワイガヤガヤ話しているとは…。人は出会いで人生観が変わる、楽しさも変わるとも言われるが、まさに、その通り。この縁の良さに感謝したい。