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【記者コラム】新田のグランドスラムは来年以降へ

 6年ぶりに弥彦競輪場で開催された「寛仁親王牌」は岩室村(現新潟市)育ちの平原康多の優勝で幕を閉じた。平原はこの優勝で9年連続12回目のGP出場を決めた。GP出場12回は神山雄一郎の16回に次いで単独2位の記録となる。
 
 決勝戦の焦点の一つは新田祐大のグランドスラム(特別競輪全冠制覇)成るか!?だった。グランドスラム達成となれば99年3月の神山以来、22年ぶり4人目の快挙。この数字がグランドスラムの難しさを表す。
 
 記者は過去のグランドスラム達成の瞬間を3度全て見た。最初はテレビ観戦した88年6月の高松宮杯の井上茂徳(佐賀=引退)。
 
 ミスター競輪と呼ばれた中野浩一(福岡=引退)がなぜか勝てなかった宮杯。〝びわ湖には魔物が棲んでいる…〟(当時の高松宮杯は大津・びわこ競輪場で開催)とも言われていた。
 
 当時は4大特別(ダービー、高松宮杯、オールスター、競輪祭)時代。中野と井上はともに宮杯に達成を懸けて、井上が88年に初代グランドスラマーに輝いた(ちなみに中野は2着)。
 
 90年11月の競輪祭の滝沢正光(千葉=引退)は寒い小倉競輪場(当時のバンクは屋外)にいて原稿を書いた。鈴木誠(千葉=引退)が先行に徹して番手の滝沢が2人目のグランドスラム。怪物と呼ばれた滝沢のはじける笑顔が印象に残る。
 
 そして全日本選抜、寛仁親王牌(94年10月)が加わり6大特別に。GⅠ6制覇の偉業は神山が99年3月の静岡ダービーで成し遂げた。このダービーは6日間で407億円を売り上げた。「神山の夢は僕らの夢」。神山のグランドスラムを応援する横断幕が目に付き、多くのファンが詰めかけた。「僕にとって(グランドスラムは)井上さんと滝沢さんに続く競輪道を達成できたかな」の言葉が記憶に残る。ちなみに井上がこのダービーで引退した。
 
 弥彦親王牌で残念な結果に終わった新田は来年の親王牌で再度、偉業に挑む。
 
 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の59歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に小橋正義(引退)ら59期生デビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋35年目。9車の勝負レースは5車の結束、番手捲り、競り。