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【記者コラム】林雄一さん ひん死の落車から第2の人生 

 S級1班のまま3月末に引退した林雄一さん(41=神奈川)と小田原競輪(4月1~3日)で会った。
 19年9月13日。松阪GⅡ「共同通信社杯」初日。一次予選に出場した林は最終2センターで落車、意識を失った。直後は頭部打撲?など負傷と思われたが原因は「心室細動」だった。
 心肺停止状態の林は中村浩士(千葉)らによる必死の心臓マッサージを受けた。「最初は蘇生しなかったと聞きました」。心肺停止は7分間に及んだ。それでも林の肋骨が2本折れるほどの懸命な心臓マッサージで「(担当医に)生き返ったのが奇跡と言われました」と息を吹き返した。
 心肺停止で酸素が体に行き渡らなかったことによる高次機能障害で「意識が戻ったと言っていいのか…」。入院直後から林に付き添った妻・香織(かおり)さんに「言ってることは支離滅裂で(回復は)大丈夫かな」と言われたそうだ。
 林は約70日間の入院生活を経て12月中旬に退院。「普通に生活できることが奇跡」。林の心臓には除細動器が入った。妻・香織さんの助言もあり「周囲の仲間に助けられた命。一生懸命に生きることが自分の役割」と気持ちを切り替えた。
 99年8月デビューの林の選手生活は約20年。私立横須賀学院高校時代から競輪選手を志した林は「諦めないレース」をモットーに着実に位置を築き上げた。その林がビッグ戦線を意識し始めたのが10年の松阪FⅠ優勝。「S級初優勝で走ってて楽しいし、これからは上を目指そうと思った。その松阪が最後の出走地になるとは…」と振り返る。玄人受けした林の一番の思い出は「(最多選手数の)神奈川県で県1位の競走得点を(16年3月の骨盤骨折まで)4年間続けたこと」。
 今後は「ジュニアの育成とか、自転車に携わった仕事をしたい」。命の重さを誰よりも知る林は、4月から平塚と小田原を中心に第二の人生を歩み始める。
 ♤中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の57歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に関根幸夫(神奈川=引退)ら59期生のデビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋33年。好きなレースは5車の結束、番手まくり、競り。