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【記者コラム】神山に平原…25年は時代の節目

 自分が当コラムを書く直前には、必ず大きな出来事が起こる。タイミングがいいのか、悪いと言った方がいいのか…。ひとつだけ言えるのは寂しさに打ちひしがれながらこのコラムを書いている、ということだ。

 平原康多引退――。まさかこんなに早く、突然に、この日が来るとは思っていなかった。確かに5月GⅠ日本選手権(名古屋)は、初戦で真杉匠の踏み出しに離れた。その時点で本調子ではないとは思ったが、それでも必死に真杉を追いかけ、2着でゴールデンレーサー賞へ。昨年覇者として最低限の役目は果たしたと思ったが…。どうやら本人の胸の内は違ったようだ。

 02年8月デビューの87期生。恵まれた身体とひたむきな努力ですぐに頭角を現し、4年後のふるさとダービー富山でGⅡ初制覇。その3年後には高松宮記念杯(びわこ)でGⅠ初優勝を飾り、その後も88期生の武田豊樹と共にタイトルを量産。トップランカーとして平成のど真ん中を走り抜いた。

 中部のエース浅井康太とは〝東西コウタ対決〟として幾度となく名勝負を展開。令和の時代になってからも21年と寛仁親王牌、24年の日本選手権でV。GⅢ優勝は通算31度にも及ぶ。

 その人となりは競走にもにじみ出ていた。検車場でも先輩、後輩、関係者、全ての人たちに対して気遣いができる人格者だった。ファンの皆さんが思い描いている通りの好漢だ。一宮競輪場が廃止され、サテライト場に移行してからも、同期で盟友だった内田慶の命日である9月11日には、可能な限り現地に出向いて献花していた。

 内田の墓前で誓ったグランプリ制覇の夢は果たせなかったが、満身創痍(そうい)の体でよくぞここまでやったと思う。もう十分だ。大丈夫。あなたの意志は、あなたの背中を見て育った吉田拓矢や真杉匠らが、しっかりと引き継いでくれる。長い間、本当にお疲れさまでした。

 神山雄一郎に平原康多。自分が知る限り、今年は一時代を築いた選手の勇退がまだ続く。競輪界にとって時代の節目となるだろう。最後にもう一度、S級S班としての幕引きを英断した好漢・平原康多に最敬礼を贈りたい。(岡田 光広)

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