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【記者コラム】「寛仁親王牌」開催の弥彦〝旅打ち〟おすすめ

 「第33回寛仁親王牌」が開幕。弥彦競輪場での親王牌開催は2年連続8回目。

 寛仁親王牌は92年5月の第1回から取材。ビッグの中でも思い出多い大会だ。サブタイトルに「世界選手権記念トーナメント」とあるように90年夏に前橋ドームで行われた「世界選手権自転車競技大会」を記念して前橋で開始された。出場選手も自転車競技大会を基本に選出される。

 第1回大会は吉岡稔真(福岡=引退)が優勝。4日制の特別競輪に格上げされた第3回も吉岡が優勝。92年3月の前橋ダービーも制覇した吉岡はまさに〝ドームの申し子〟だった。

 GⅠ16勝の神山雄一郎は親王牌を3回優勝したが、親王牌の最多優勝回数は小橋正義(新潟=引退)の4回。小橋は青森競輪場で親王牌が初めて行われた01年では「東西登録(岡山から新潟に移籍)での特別制覇」の偉業を達成。〝ミスター親王牌〟と称された。青森競輪場での寛仁親王牌は3回開催された。

 親王牌が弥彦競輪場で初めて開催されたのは11年7月(優勝=浅井康太)。以降、15年まで5年連続の弥彦親王牌となった。その5年間では13年金子貴史の涙のGⅠ初優勝が記憶に残る。3年前の弥彦親王牌は〝準地元〟の平原康多のVは記憶に新しい。

 弥彦競輪場はオールドファンには「ふるさとダービー」の印象が強い。東日本地区(当時19場)で「ふるさとダービー」が初めて開催されたのは91年6月の弥彦だった。当時のふるさとダービーは記念競輪の前節、後節の1節扱いで2年連続の開催。売り上げは91年が4日間で170億円、92年が210億円を超える盛況。場外発売も少ない時代に多くのファンが本場に詰めかけた。弥彦といえば「旅打ち」したい競輪場の一つ。機会があれば一度は来場したい競輪場だ。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)熊本県八代市出身の62歳。慶大卒。87年5月の花月園新人リーグで競輪記者デビュー。以来、現場取材一筋38年。寛仁親王牌のローズカップで記憶に残るレースは93年。吉岡稔真と海田和裕(三重=引退)が3周の先行争いを演じた。

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