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【記者コラム】「最高の仕事」プロ野球から転向した小林の成功

 西武園で懐かしい男に会った。私が長野支局に在籍していた時、プロ野球独立リーグの信濃グランセローズの担当をしていた。その時に取材した小林史也だ。17年ぶりの再会だった。投手として入団した小林は、主にリリーフエースとして活躍。NPBを目指して奮闘していた。2年で信濃を解雇されたが、夢を諦めきれずに和歌山の独立リーグへ。そこでも年ほど野球を続けたが道は険しかった。

 そんな時、四国の独立リーグから競輪選手に転身した山本伸一(42=奈良・101期)のニュースを知る。「山本さんが競輪選手としてデビューしたのが29歳。僕はその時、28歳でしたが、競輪選手なら30歳からでも遅くないと考え、アスリートとしてもう一回挑戦しようと思いました」。野球で鍛えた基礎体力の高さもあって、競輪学校の入学試験は一発で合格した。

 デビューは15年7月の松阪。29歳だった。現在はA級2班だが、一時はS級2班までいった。「競輪選手になって今年で10年。昨年の年収は1500万円くらいあったし、最高の仕事だと思っている」と笑った。独立リーグ時代の月給が20万円ほどだったことを考えれば、競輪への転向は大成功と言っていいだろう。今年12月で40歳を迎えるが、競輪に転向してから10年余り。伸びしろはまだある。

 「壁は感じていない。目標はS級に定着すること。あと60歳以上まで現役を続けたいです。そのためフィジカル強化にはお金をかけてやっている。競輪選手としての体の使い方がちょっとずつ分かってきました」。17年ぶりに会った小林はたくましい男になっていた。

 ◇小林 史也(こばやし・ふみや)1985年12月8日生まれ、長野県飯山市出身の39歳。07年プロ野球独立リーグ・信濃グランセローズの創設メンバーの一人として所属。投手として活躍した。15年7月107期生として松阪でデビュー。1㍍81、89㌔。血液型O。

 ◇鈴木 智憲(すずき・とものり)1967年生まれ。愛知県出身の57歳。92年スポニチ入社。97年から2年間競輪記者を経験。当時は神山雄一郎、吉岡稔真が東西の横綱として君臨していた。24年4月に26年ぶりに現場復帰。

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