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【記者コラム】もっと読みたかった伊集院さんコラム

 先月24日に伊集院静さんが亡くなられた。伊集院さんは競輪、中でも大阪の本紙競輪面で「浪漫ギャンブラー」として特別競輪(GⅠ)で80年代終わりから30年以上も続いたコラムを連載されていた。

 当時、東京と大阪では本紙の競輪面は全く違った。だから伊集院さんのコラムを読めるのは中部・近畿以西の特別競輪取材のみ。大津の高松宮杯、小倉の競輪祭は「浪漫ギャンブラー」を読むのが楽しみだった。

 大阪の競輪担当の紹介で伊集院さんと初めてお会いしたのは91年の小倉競輪祭。夜はスポニチ競輪担当と会食、その後は門司に同行させていただいた。伊集院さんの話を聞き逃すまい、と飲んでも飲んでも酔わなかった記憶がある。

 伊集院さんには車券売り場でよく声をかけていただいた。94年の大垣全日本選抜(優勝=高橋光宏)では「何がいいと思う?」と聞かれると「これを買いました」と車券を見せた。「分かった」。車券を全レース買う私は毎レース、伊集院さんと話ができてうれしかった。

 96年の宇都宮全日本選抜(優勝=海田和裕)当時は本紙で小説「ピンのピン」を連載されていた。マージャンと競輪の話、中でも競輪は開催中の全日本選抜と同時進行もあり興味深かった。

 その後も競輪場、電話などで競輪、そして野球の話(私の次男が高校、大学、社会人で野球)やアドバイスを数多くいただいた。

 私が大ファンだった「浪漫ギャンブラー」の中で最も記憶に残るフレーズは93年の高松宮杯の「それでも鬼は差す」。当時は吉岡稔真(福岡=引退)の後ろを紫原政文、平田崇昭の福岡勢が主張し始めて鬼脚と呼ばれた井上茂徳(佐賀=引退)と競りになった時代。鬼脚が吉岡の番手で競り勝つだけでなく、そして差す。という車券。決勝は井上優勝、吉岡2着。裏目を押さえない潔さもあった。「浪漫ギャンブラー」をまだまだ読みたかった。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)生まれ、熊本県出身の61歳。慶大卒。87年4月入社、同5月の花月園新人リーグ(59期生)で競輪記者デビュー。怪物・滝澤正光の先行、鬼脚・井上茂徳の追込みに即、魅了された。以来、現場取材一筋37年。

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