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【記者コラム】前橋の歴史に思いをはせる

 前回当コラムで宇都宮500バンクに触れたが、選手OBの先輩方に「前橋も以前は500バンクだった」と教えていただいた。その後、1月28~30日の前橋FⅠの取材があり、前橋競輪史を学ぶ機会ができた。

 前橋市公営事業課の羽鳥申一氏に提供していただいた資料に前橋競輪場は50年(昭25)2月に500バンクで完成とある。同4月に前橋競輪が初めて開催され、67年(昭42)に400バンクに改修されるまで17年間は500バンクだった。したがって車券歴55年以上のオールドファンのみが前橋500バンクを知る。

 前橋400バンクはダービー、オールスターと多くの特別競輪が開催され、85年(昭60)には第1回全日本選抜競輪も行われた。私が知る前橋競輪場は87年(昭62)からだが本紙の群馬県版の前橋競輪紙面上、前橋の取材回数は多い。

 前橋400バンクの一番の思い出は90年(平2)秋の前橋記念。その年の4月デビューした吉岡稔真氏(福岡=引退)が前橋初登場。準決勝で番手の中野浩一氏(福岡=引退)を2周先行で振り切った。他場の中継など全くない時代。詰めかけた多くのファンが〝彗星・吉岡〟にどよめいた。

 そして90年8月には現在のドームバンクで世界選手権が行われた。この開催を記念して92年(平4)に寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントが始まり、94年(平6)から4日制の特別競輪となり現在に至る。

 前橋といえば寛仁親王牌の印象が強いが、記念競輪も三山(みやま)王冠争奪戦の名称で59年(昭34)から開催という歴史がある。

 三山とは?前橋競輪のテレビ解説でもおなじみのミスター前橋・三好隆氏に命名の由来を教えていただいた。「三山とは上毛三山(さんざん)のこと。前橋市内から見て右から赤城山、榛名山(はるなさん)、妙義山(みょうぎさん)です。前橋市内の小学校の運動会は赤城団、榛名団、妙義団の呼称で行われるほど上毛三山は前橋市民に浸透しています」とのこと。今年は三山王冠争奪戦が6月29日から行われる。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)生まれ、熊本県出身の60歳。慶大卒。87年4月入社、同5月から競輪記者。以来、現場取材一筋36年、前橋市内の焼き肉店、雀荘、天然温泉は把握している。

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