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【記者コラム】多くの名勝負を残した寛仁親王牌が開幕

 31回目の寛仁親王牌が開幕。サブタイトルに「世界選手権記念トーナメント」とあるように90年に前橋競輪場で開催された「世界選手権自転車競技大会」を記念して92年に創設された。

 私は90年の世界選手権を取材した。日本初のドームバンクの大会はサイボーグと呼ばれたヒューブナー(ドイツ)の桁違いの迫力が記憶に残る。当時は日本が生んだ〝競輪〟を〝ケイリン〟として五輪種目への昇格を世界にアピールしている時期。80年代は外国人選手を毎年10人斡旋して「国際競輪」を4~5月に開催。例年最終戦は外国人選手5人と日本人選手4人(自転車競技でメダル獲得歴あるトップ)で〝国際競輪グランプリ〟も争われた。

 そして92年に第1回を開催、94年の第3回から4日制の特別競輪に昇格した。第1回と第3回の優勝者は吉岡稔真(福岡=引退)、ちなみに吉岡は92年3月の前橋ダービーも優勝。「ドームの申し子」と呼ばれた吉岡は前橋バンクは敵なしの印象だった。

 95年の第4回は小橋正義(当時岡山=引退)が優勝。小橋はこの後、98年、01年、04年に優勝、親王牌最多優勝4回の記録を残した。また01年は親王牌が舞台を青森競輪場に移して行われた開催で岡山から新潟に移籍した小橋が太田真一―神山雄一郎の3番手から抜け出して〝東西の登録地での特別競輪優勝は初〟の偉業。小橋は「ミスター親王牌」と呼ばれた。

 また完全優勝を飾ったのは96年の神山雄一郎ただ1人。この年は十文字貴信(茨城=引退)がアトランタ五輪1㌔タイムトライアルで銅メダルを獲得。十文字と神山の〝アトランタライン〟が始まった年だった。神山は翌97年も優勝、親王牌連覇の偉業は神山しか成し遂げていない。

 昨年の30回大会は平原康多が生まれ故郷の新潟で優勝、笑顔が記憶に新しい。他にも数え切れない名勝負を残した親王牌が始まる。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)生まれ、熊本県出身の60歳。慶大卒。87年4月入社、同5月から競輪記者。以来、現場取材一筋36年。9車の勝負レースは5車の結束、番手捲り、競り。

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