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【記者コラム】強くて謙虚だった「鬼脚」井上氏

 9月に入り、ベテラン選手と話をする時間が長くなった。本紙評論家の井上茂徳氏の「我が道」が芸能面に好評連載中だからだ。

 87年に記者デビューの私にとって井上氏は雲の上の存在。88年高松宮杯優勝(グランドスラム達成)、2度目のグランプリ優勝、91年の一宮ダービーなど実況中継を食い入るようにして見た。代名詞は「鬼脚」。

 直線を縫うように伸びる差し脚、先行選手を最後の最後までかばい、ゴール直前で計ったようにチョイと差す技術。〝井上は直線に入ると首が伸びる〟〝井上が踏むコースはあるけど俺のコースはない〟。S級はもちろん、A級もB級も追い込み選手は井上氏をお手本にしていたように見えた。

 別線の先行選手が捲ってくると金網まで追いかけて止めていた(当時の規則ではOK)鬼脚も自転車を降りると優しい笑顔だった。井上氏の周りは笑いが多いし、報道陣や競技会職員への対応も紳士的だった。滝澤正光氏(千葉=引退)とともに両氏の存在は〝気は優しくて力持ち〟。言い換えれば強くて謙虚。両氏の存在があったから、私は競輪に魅了されていった。

 滝澤氏が井上氏に次いでグランドスラムを達成した90年の小倉競輪祭。決勝戦は鈴木誠(千葉=引退)が滝澤氏を引っ張る布陣だった。「自分が(鈴木の)番手勝負に行けば正光の優勝はない。しかし正光は自分が付いた時も気持ち良く先行してくれる素晴らしい選手。グランドスラマーは1人がいいけど(笑)別線で正々堂々と戦う」。決勝前日に井上氏が語った言葉は今でも記憶に残る。

 94年の静岡ダービー決勝戦。優勝は井上氏の後ろを回った小橋正義氏(当時岡山=引退)だった。井上氏はレース後に「正義は自分の後ろを回り、自分を抜いた。これからは正義が前回り」。可愛い後輩の力を素直に認めた潔さも思い出す。ちなみに同ダービーは6日間で430億円を売り上げた全盛時代だった。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)熊本県八代市出身の63歳。慶大卒。87年5月の花月園新人リーグ(59期生)で競輪記者デビュー以来、現場取材一筋38年。デビュー戦から見た選手で最強は神山雄一郎、最速は吉岡稔真。9車の勝負レースは5車の結束、番手捲り。

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