「第65回競輪祭」は3日目を続開。競輪祭が〝今年最後のGⅠ〟の定位置に戻ったのは09年11月の51回大会。02年~09年は〝今年初のGⅠ〟で1月開催だった。そこで09年は1月の50回大会優勝の山崎芳仁、11月の51回大会優勝の平原康多と競輪王が2人いた。グランプリの出場枠がGⅠ優勝者7人の1年だった。
競輪祭は思い出の多い特別競輪の1つ。小倉の11月下旬は小雪が舞う日もあり寒かった。88年の決勝戦は雹(ひょう)が降る中、行われた。90年の32回大会は滝澤正光(千葉=引退)のグランドスラム達成を見ることができた。
92年の34回大会は吉岡稔真(福岡=引退)がホームバンクで初優勝。吉岡は3月の前橋ダービーを優勝したことで新人王戦を飛び越えて競輪王戦に出場しての快挙。吉岡は94年まで「競輪祭3連覇」を成し遂げた。
翌95年は吉岡が世界戦の骨折による負傷欠場。優勝候補の筆頭がいない37回大会を制したのは神山雄一郎。今度は神山が97年の39回大会まで競輪祭3連覇を達成。圧倒的な「東西横綱時代」の記録の1つだ。
98年の40回大会から戦いの場所は冬場の風が冷たい旧競輪場から無風の小倉ドームに移った。決勝戦は吉岡と神山の横綱対決にファンの大歓声が響いた。先行した吉岡が捲ってきた神山を自らブロック。東西横綱の名勝負の結果は吉岡が1着失格、神山6着。繰り上がりで優勝したのは加倉正義(福岡)だった。
99年の41回大会は小倉竜二(徳島)が吉岡を差して優勝。小倉は47回大会も吉岡目標から優勝しており、小倉(読みは「おぐら」)の名前通りに小倉は相性抜群のバンクだった。その後の優勝者はまだ記憶に新しいが、最近4年間は19年が松浦悠士、20年が郡司浩平、21年が吉田拓矢、22年が新山響平と4年連続でGⅠ初優勝の舞台となっている。26日の表彰台に立つのは5年連続でニューヒーローになるのか。
◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)生まれ、熊本県出身の61歳。慶大卒。87年4月入社、同5月の花月園新人リーグ(59期生)で競輪記者デビュー。怪物・滝澤正光の先行、鬼脚・井上茂徳の追込みに即、魅了された。以来、現場取材一筋37年。