弥彦記念は平原康多の優勝で幕を閉じた。6月からの地区内斡旋でS級S班は平原、佐藤慎太郎、郡司浩平の3人が出場。東日本地区は佐藤が北日本、平原が関東、郡司が南関東の3地区になるためバランスがいい。準決勝3レースはもちろん3人が柱になり、決勝戦も6月の取手記念に続き3地区の争いとなった。
弥彦記念は小松島記念(2~5日)に次いで2場所目の〝7車立て記念〟となった。東日本では初の7車立て記念とあり、17日の前検日から7車立ての走り、流れに話が集中した。自力選手は「(7車は)仕掛けが遅いかなと思っていたが逆に早い」。追い込み選手は「(7車は)追い込み型にきついと思うが、その中でどう対応するか」。各レースの対戦相手、脚質で流れは違うが、9車との違いをレースに応じて振り返っていた。
東日本地区の7車記念は弥彦の1場所が終了したばかり。それでもS班3人は優勝した平原をはじめ結果も残した。郡司は予選2で10秒9、準決で10秒7の上がりタイムで快勝。佐藤は予選2で通算400勝を飾り、準決も人気に応えた。
8月はオールスター(12~16日)が開催。そして松戸記念(22~25日)、小田原記念(27~30日)と南関東地区の記念が続くことで松戸と小田原の出走選手は全国斡旋となる。7車立て9レース制は継続される。
私は前回も述べたが「競輪は9車」が信条。しかし平原らが目の前で走る以上は7車立てでもマークカードを塗るのみ。弥彦は買い方が下手だった。レース傾向と車券対策はこれからになる。
「GⅠを優勝するために努力している」と語る平原はまだまだ進化中。「(平塚)GPを目指して一戦一戦」と集中する郡司は〝漢字の〟競輪がよく似合う。平原の父は康広さん(28期=引退)、郡司の父は盛夫さん(50期=引退)。なるほど、2人に昭和の競輪の名残を感じるはずだ。
♤中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の58歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に関根幸夫(引退)ら59期生のデビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋34年目。通算車券購入額上位者は①神山雄一郎②鈴木誠③小橋正義。
【記者コラム】選手の〝7車対策〟に学ぶ新しい車券様式
2020/7/23