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伏見俊昭さん事故死 50歳 アテネ五輪銀・競輪賞金王2度

 アテネ五輪銀メダリストで競輪選手の伏見俊昭(ふしみ・としあき)さんが19日午前10時15分、三重県松阪市の病院で死去した。50歳。福島県出身。死因は明らかにされていない。競輪を統括するJKAが同日発表した。

 伏見さんは18日の松阪競輪場12レースで落車した前方2選手を避けようとした際、バンク外側の金網に激突して落車。病院に救急搬送されていた。

前方の選手避け

 賞金王に2度輝いた競輪界のプリンスが、愛するホームバンクで非業の死を遂げた。伏見さんは18日、三重・松阪競輪場の12レース「S級決勝」に2番車で出走。最後方7番手で最終周回を迎えた。最終コーナーで落車した前方2選手を避けようとした際、バンク外側の金網に激突。その衝撃で落車し、バンク内側まで体を放り出された。走路補助員が救助に向かい、その場で応急処置を施された後、松阪市内の病院に救急搬送されたが、19日午前10時15分に死亡が確認された。

 95年4月に静岡・伊東競輪場でプロデビュー。96年10月の寛仁親王牌でGⅠデビューを果たすと、01年9月のオールスターでGⅠ初優勝。同12月には競輪界最大の祭典「KEIRINグランプリ」も制して賞金王に輝いた。04年にはアテネ五輪のチームスプリントに長塚智広、井上昌己と出場し、自転車競技初の銀メダルを獲得。07年には2度目のKEIRINグランプリ制覇を飾り、賞金王に返り咲いた。

 長らく競輪界を支えた功労者の突然の訃報に、JKAの木戸寛会長は「伏見俊昭選手が競走中の事故で命を落とされたことは、誠に痛恨の極みであります。伏見選手は競輪界に多大な貢献をいただいた選手でありました。伏見俊昭選手のご冥福を深くお祈りするとともに、ご遺族の皆さまには心よりお悔やみ申し上げます」とコメント。

 日本競輪選手会の安田光義理事長は「伏見選手は、アテネオリンピックでの銀メダル獲得、KEIRINグランプリ2度制覇など数々の輝かしい実績を残され、長きにわたり競輪界の発展に力を尽くしてこられました」と語った。

 伏見 俊昭(ふしみ・としあき)1976年(昭51)2月4日生まれ、福島県白河市出身。県立白河実業高卒。95年4月に伊東競輪場でプロデビュー。01年オールスター競輪でGⅠ初優勝。同年のKEIRINグランプリも制し、賞金王に輝いた。長塚智広(81期=引退)、井上昌己(86期)と共に出場した04年アテネ五輪チームスプリントで銀メダルを獲得。07年、2度目の賞金王。通算成績は2423戦619勝、優勝75回。GⅠ5V。通算取得賞金は17億6548万6143円。師匠は班目秀雄氏(24期=引退)。


美しいフォームに端正なルックス“プリンス”が…信じれない

 <悼む>こんな原稿は書きたくない。伏見選手の原稿はGⅠ初優勝を飾った岐阜オールスター競輪(01年)をはじめ何度も何度も書いてきた。しかし、まさか…。

 伏見選手を初めて取材したのは競輪学校(当時)を卒業してプロデビューした95年。75期生はアトランタ五輪(96年1㌔TT)銅メダリストの十文字貴信氏(茨城=引退)、太田真一(埼玉)ら逸材がそろっていた。その中でも伏見選手はひと際光っていた。一番印象に残るのは奇麗な乗車フォーム。その後は素質と猛練習でスター街道を駆け上がり、端正なルックスも加わり〝プリンス〟と称された。

 00年は国内の競技大会で活躍しながらも、シドニー五輪の代表入りを逃した。その悔しさは4年後のアテネ五輪(チームスプリント銀メダル)で晴らした。その時の笑顔と雄叫びは記憶に残る。

 伏見選手と私は選手と競輪記者の関係ながら30年以上も話をしてきた。最近は競輪よりプライベートの話が多かった。伏見選手の子供と私の孫の年齢が近いこともあり、遊園地の話は定番だった。伏見選手は永遠のプリンス。まだ信じられない。(競輪担当・中林 陵治)

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