毎年12月30日に行われ、公営競技個人最高賞金を誇る「KEIRINグランプリ」。1着賞金1億4600万円を懸けた戦いに今年、法政大学自転車競技部出身の阿部拓真(35=宮城・107期)と寺崎浩平(31=福井・117期)が挑む。同じ大学の自転車競技部卒業者から同年のKEIRINグランプリに複数人が出場するのは史上初。GⅠタイトルホルダーとなり、頂上決戦に挑む2の法大魂に迫った。(取材・構成 渡辺 雄人)

頂上決戦で「感慨」激突
オレンジと紺の名門が存在感を放つ。法大16年卒の寺崎が8月にオールスターを制すと、11月には同13年卒の阿部が競輪祭をV。法大自転車競技部卒業者としては04年の斎藤登志信以来、21年ぶりのGPとなる(86、88、94年優勝の井上茂徳は中退)。それも今回は2人同時だ。
大学4年間は2人の礎になっている。同部の卒業者として初めてタイトルホルダーとなった寺崎は当時を振り返り、「養成所よりもキツかった。寮では1年生が料理をしたり、掃除をしたり。かなり厳しめの部活だった。あれがあったおかげで時間の使い方など鍛えられた。自分の根っこの部分になっている」と苦笑いを浮かべながらも感謝。阿部も「1つ上のロードのインカレを優勝した先輩とマンツーマンで練習していた。1日少なくとも100㌔。多い時で200㌔近く自転車に乗っていた。月曜日以外はほぼ毎日。自転車に乗るという基礎はそこでできた」とうなずく。
3学年違いの先輩後輩。先輩が「ひょうひょうとしていて自分より強かった」と言えば、後輩は「オーラがあってめちゃめちゃ怖い先輩だった」と互いの当時の印象を話す。中でも阿部にとっては忘れられない思い出がある。4年時のインカレに向け、寺崎と立川競輪場でチームスプリントの練習に励んだ。寺崎は補欠に回ったが、阿部が本番で調子を落とすと、「決勝で監督に〝寺崎と代わってくれ〟と言われた。たぶん寺崎も肩を回していたと思うけど絶対に嫌だと言って拒否した」と先輩の意地を見せたことがあった。
最高の舞台で、言葉通り同じ釜の飯を食った者の対決。「感慨深い。この舞台で、というのは」と阿部。寺崎も「まさかこうなるとは。法政は最近選手も増えた。凄くいいなと思う」と心待ちにした。名門の魂を背負う2人が、年末も盛り上げてくれるに違いない。
競輪選手70人輩出名門
法大自転車競技部は88年創部、インカレは歴代2位となる13回(48、49年は公開大会)の総合優勝を誇る。競輪選手となったのは約70人。東京都東村山市にある寮で共同生活を送り、平日は昼間に授業、夜に個人練習、週末は西武園競輪場などで練習に励む。OBでもある松村拓紀監督は「阿部君、寺崎君のGⅠ優勝は喜ばしい限り。現役生の励みになっている」と目を細める。また、近年は多くの競輪選手を輩出し、寺崎、青野将太、鈴木玄人、鈴木陸来の117期からは6年連続で計18人。現主将の鈴木来音(らい)さんは陸来の弟で来年、養成所の受験を予定している。「寺崎先輩のメニューを聞いたりして練習している。身近にOBの選手がいると心強いし、イメージもしやすい」と支えにしていた。
競元主将ら現地でエール
阿部と同期で自転車部の主将を務め、現在は会社員の丸田直さんに当時の2人について聞いた。「阿部は常に明るくムードメーカー。1年生の時はAKB48にハマって部屋から歌が聞こえてきたことがあった」と懐かしむ。3学年下の寺崎については「インターハイを優勝して入ってきたので自信がありそうだった」と振り返った。当日は同期や先輩と平塚競輪場まで応援に行く予定だという。


