現役S級S班の平原康多(42=埼玉・87期)が引退することが5月23日、分かった。この日、日本競輪選手会・埼玉支部に選手手帳を返納。今月4日の名古屋GⅠ「日本選手権」最終日9R(5着)が現役最後のレースとなった。
S級S班に在籍したままの引退は極めて異例。GⅠ9冠を飾りファンからも選手仲間からも愛された〝関東の総大将〟は、度重なるケガの影響により42歳という若さでバンクを去ることとなった。
24年5月の第78回日本選手権で優勝し、花束を手にする平原
「平原康多という選手に戻れない… ラインに迷惑かける」
GⅠ9勝を挙げた〝関東の総大将〟が突如、23年の選手生活にピリオドを打った。最高位のS級S班が創設された08年以降、S級S班に在籍したまま引退したのは12年の山口幸二以来2人目になるが、山口は11月の競輪祭まで走りきってのもの。現役S級S班がグランプリ出場の可能性を残したまま引退するのは極めて異例。
本紙の取材に対し平原は「日本選手権の初日特選を終えた後に、左脚に力が全然入らなくて…。ここまでいろいろやってきたのに治せず、これは〝平原康多〟という選手に戻れないなと思った。競輪はラインだと思っているし、ラインにもお客さんにも迷惑をかけてしまう。自分のわがままでは続けられない」と明かした。
父・康広さんを追い、02年に競輪選手としてプロデビュー。185センチと恵まれた体格から生み出されるパワーを武器にすぐに頭角を現した。06年に富山でGⅡふるさとダービーを制覇。以降はビッグレースの決勝常連となり、09年の高松宮記念杯(大津びわこ)でGⅠ初タイトルを獲得した。
その後は武田豊樹と〝関東ゴールデンコンビ〟を結成しGⅠ9冠。グランプリ出場は神山雄一郎氏の16回に次ぐ歴代2位の14回。S班には14~23年の10年連続を含む歴代トップの15年在籍した。オールスターのファン投票でも1位に3度輝き、ファンからの支持も絶大だった。
だが、近年は落車禍に見舞われ、23年4月の武雄で肩甲骨を骨折。復帰した同6月の高松宮記念杯でも落車し股関節を痛めた。「あそこで休んでいれば良かったかもだけど、焦ったというか追い込んで練習してしまったのが…。自分が別人になってしまうようなケガだった。若い時なら戻ったけど、年単位で戻らなかった」と悔しそうに語った。
今後「未定です」
競輪選手生活23年。思い出のレースは「昨年の日本選手権かな。いろんなレースがあるけど。最後の2年間は人と戦うというより、ケガとの戦いだった。その中で関東の仲間と日本選手権を勝てたのは幸せだった。競輪ってやっぱりラインだな。やってきて良かったと思えた」としみじみ振り返った。絶好調時でも届かなかったダービーのタイトルを関東の後輩・吉田拓矢の先行から奪取。競輪の素晴らしさを再確認した。
今後については「何の予定もなく未定です」と話した平原。選手としてだけでなく、人としても愛された関東の総大将は、42歳という若さで履き慣れた赤いレーサーパンツを脱ぐことなくバンクを去る。
▼宿口陽一(練習仲間でグランプリでも連係)競輪選手の前に人として正してくれた。追っかけてきたけど果てしなく遠い存在。
▼武藤龍生(同県で何度も連係)学ぶことも多かったし苦しい時に支えてもらった。安心感がありました。
▼真杉 匠(関東のエース継承)さみしいですね…。吉田(拓矢)さんと関東を底上げできれば。
▼吉田拓矢(24年日本選手権で平原Vに貢献)デビュー間もない時から競輪を教えてくれた師匠のような存在。感謝しかない。
▼諸橋 愛(平原の番手で17年共同通信社杯V)一番連係しているし、さみしい。人間として魅了されるし、引かれる存在だった。
▼佐藤慎太郎(何度も連係)いつも気持ちのこもった走りをしてくれた。本当の競輪伝道師は平原。現代のミスター競輪でしょう。
▼深谷知広(対戦も連係もしたライバル)デビューした時に一番強い選手だった。(連係した時は)いろいろな要因があると思うけど、認めてもらえたと思い、うれしかった。
▼岩津裕介(同期)欠場していて心配していた。どう立て直すか見たかったけど残念。同期で一番、目標にできる選手だった。
◇平原 康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日生まれ、埼玉県狭山市出身の42歳。県立川越工高卒。02年8月プロデビュー。通算成績は1614戦511勝。通算取得賞金は17億1407万2900円。GⅠ9V、GⅡ2V、GⅢ31V。父は康広(28期=引退)、弟は啓多(97期)。1㍍85、95㌔。血液型A。