平成最後のGⅢが伊東競輪場で開幕。松戸ダービー(4月30日~5月5日)不参加の選手が斡旋されるため上位陣は〝ダービー不出場の悔しさ〟を晴らすシリーズ。優勝争いは脚力上位の外国3選手に絞られるが日本勢がどこまで苦しめるか!?も焦点の1つになる。
「平成を振り返る」は平成12年の2000年。3月千葉ダービーは岡部芳幸(福島=66期)が特別初制覇。24日の前検日に伊東の検車場で岡部は「(斎藤)登志信と連結が外れて後方になり(最後は)自分で踏んで行った」と振り返った。ダービー宣伝ポスターが黄黒(7番車)が先頭を走っていた記憶があり、岡部は7番車での優勝だった。
6月高松宮杯は金子真也(群馬=69期)が初タイトル。金子も岡部と同じ最終バック9番手だった記憶がある。まさに500バンクならではの逆転劇だった。
7月前橋寛仁親王牌は神山雄一郎(栃木=61期)が優勝。神山は太田真一(埼玉=75期)目標にレースを運んだが太田が落車。番手戦から瞬時の判断で自力に転じての優勝。ちなみに山田裕仁(岐阜=引退)が1着失格。8月名古屋全日本選抜は金古将人(福島=67期)が優勝。金古は〝タイトルに最も近い男〟から鎖骨骨折などを乗り越えての優勝劇。金古を出迎えた岡部が自分の優勝以上に喜んでいる姿が印象に残る。
10月オールスターはリニューアルした高知競輪場で児玉広志(故人)が制覇。ちなみに私は右手首骨折直後(自転車でうっかり落車)で三角巾で右腕を吊って取材したシリーズ。11月の小倉競輪祭は神山雄一郎が3年ぶり4回目の競輪祭制覇。12月の立川グランプリは児玉広志がGP初制覇を飾り、この年の賞金王に輝いた。それでもMVPは4年連続で神山雄一郎。
また平成4年から8年連続でグランプリに出場していた吉岡稔真(福岡=引退)が度重なるケガの影響もありグランプリ不出場。「東西横綱」の年末決戦は前年の平成11年が最後となったことは、この年に想像することはできなかった。
♤中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の56歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に坂本英一(栃木)ら59期生のデビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋32年。平成12年一番の思い出レースは高知オールスター。
【記者コラム】岡部〝ポスター通り〟の平成12年ダービーV
2019/4/25