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【我が道 井上茂徳⑤】新人訓練中の宴会がバレた

 前回からの続きを書くと、大学生活は約4カ月。ただ自転車部の活動は気持ちを入れて頑張ってました。一方、授業の方はご想像にお任せします。夏休みに入り、故郷の佐賀県に戻りました。すでに、この頃は大学に戻る気持ちはなかったですね。まずは強豪がそろう佐賀国体に出場しましたが、成績はパッとせず。やるだけのことはやったと思ってます。そしていよいよプロの道を目指したステージに入っていきます。

 41期生の試験は本腰を入れていたので、おかげさまで無事合格。競輪学校時代は序盤、まあまあ勝ちました。先行型の選手の後方について周回し、最終の直線で一気に追い抜く、追い込み中心の競走でしたね。それで私は後半は、先行やまくりなどで自ら仕掛ける、自力中心の訓練を心がけました。前半これだけ勝てたので、今は先頭で走っても風圧に負けない体力、脚力を鍛えていく時期だと考えたのです。その後、問題も起こさず、卒業しました(笑い)。

 通算55勝、在校7位。これぐらいの成績でよかっ。あんまり目立たないほうが、よかばいっと感じてました。

 デビュー戦は78年5月14日、地元の武雄競輪場。さすがに私もかなり緊張していたんでしょう。ジャン(鐘、※ゴールまで残り1周であることを選手やファンに周知する)の音が聞こえてなかったと思います。ただ周回は間違えていない。それは確認していました。新人なので最初は自力勝負でしたが3連勝。その後も順調に勝ち星を積み重ねていきました。それからですよ。大変な事件の幕が開いたわけです。

 78年静岡県修善寺のサイクルロッジで新人訓練があり、終わってから私の部屋で内緒の宴会が始まったのです。私が20歳の時です。同期が10人ぐらい集まって、ワイワイガヤガヤ楽しくやって、私はご機嫌になり歌って踊ってました。まあ、大きい声で騒いでいるもんですから、見事に選手会の職員の方にバレましたね。そのことは今、日本名輪会の事務局長を担当していただいている三浦さんが一番、良く覚えています。その場にいましたからね。

 俺たちの悪さが、ばれたか…。それで処分が出るまで謹慎。地元・佐賀で待機しなさいということでした。真っすぐ帰ればいいのに、福岡県博多駅で降りて同期と一緒にご飯を食べに行ったり、飲んだりしてました(笑い)。大胆でしょ。

 そして明け方、これから競走に向かう先輩選手と偶然出会い「何してるの?大騒ぎになっているからすぐに帰れっー」と…。えらい怒ってました。今だから書けるのですが〝クビになるかもしれない〟という話もあったんです。本当に。

 1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。

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