
前回からのあらすじを少し書いていきますね。今日から私の我が道を読んでいただく方も、いらっしゃると思いますから。
41期生新人訓練で起こった、楽しかった宴会エピソードの続きです。昨日、私のコーナーを読み返しながら思い出すと、内緒の宴会、私の部屋に10人じゃなく「20人」でしたね。結構、集まっていたというか、同期の絆といいますか、結束力がヨカヨカ(※九州では、いいよ、いいよという意味)。お酒絡みの失敗談は読んでいただいている方にとって楽しいですからね。こういうネタの方がいいでしょ。本人はドキドキたいっ。
デビューして4、5場所走って全国から静岡修善寺に集まっての41期生、新人研修。これからプロとして、いろんなことをまだ学んでいく時でしたが、同じ釜の飯を食べた同期と久々に会うわけですから、そりゃー盛り上がりますよ。
「レースの方はどがん(どんな)感じたいっ」と。でも私は研修なのに堂々と飲んで歌って踊ってましたから。あーっ、オイ(私)は恥ずかしいばい(笑い)。
振り返ると当時、1978年(昭53)は今のように携帯電話がある時代じゃなく、佐賀支部の大騒ぎを知ったのは静岡から博多で1泊した翌朝(真っすぐ佐賀に帰らず、同期とまた飲んでました)。支部の先輩選手がレース参加のために電車でいく途中の博多駅です。「すぐ帰れー」。一気に酔いもさめました。
デビューした後に髪を伸ばした筆者、若いわー
大胆な私でも、さすがに、えらいことに、なってやけん、まずは佐賀に戻り師匠(倉富義夫=佐賀1期)に報告。謝罪に向かいました。本当に温厚な師匠だったんですが、私の新人研修お酒事件に関しては激しく怒られました。九州風に書けば「なんばしよっと?」。
いや、そんな感じではなかったかな。とにかく本当に怒っていた記憶があります。
その後、選手会で警察のような?取り調べがあり処分が、どがんなるかな…と感じてました。しばらくして制裁発表がありました。
半年間の出場停止処分。クビにならず、良かったです。今、思えば、ここが大きな分岐点ですね。解雇だと、鬼脚は生まれてませんから(笑い)。
制裁は真摯しんしに受け止めてました。やったことは仕方ないばい。でも、みんなと一緒にいると楽しいもんですから、ついつい騒いでしまう性分で…。オイは酔っ払って声がでかくなり、遠くにいる方でも「あれは、シゲノリばいっ」と分かるんでしょうね。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。