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【我が道 井上茂徳⑨】92年名古屋は忘れられない

 81年10月、立川オールスターで特別競輪初優勝。デビュー4年目です。そこまでの過程を振り返れば、80年いわき平オールスターで優出。81年6月、大津びわこ高松宮記念杯で準優勝(優勝は久保千代志=愛知※現・競輪解説者)。立川は、その後の大会でした。中野浩一さんをタイヤ差かわし、続けてきた苦しい練習はウソをつかないと実感しました。ラインのおかげ、皆さんに感謝です。

 当時、私は九州の先輩から、いろんなアドバイスをしてもらいました。特に私と同期の恩田繁雄(41期・東京)のお兄さん、熊本の恩田勲さん(26期)は兄貴のような存在で競輪の基本から全てを教わりました。お互いの家を我が家のようにしてましたね。そのおかげで初タイトルを獲れたと言っても過言ではありません。あとは特別競輪デビュー戦(79年岸和田オールスター)で、苦い経験をしたからでしょう。1走目で失格。このレースを覚えているファンの方がいれば、すごかー。

 私が周回中、前にいて東日本のライン、現在、日本名輪会に所属している宮城の阿部道さん(23期)に、東京の桜井久昭さん(28期)で上昇。私が下がればいいのに下がらず2番手を追走する桜井さんと併走。競りもできずに一方的に何度も頭などでぶつかり、挙げ句の果てに失格。東日本のベテラン選手から「あんなむちゃする選手は帰せー」と言われたほどです。

 いろんな経験を重ねて初めて特別タイトルが獲れた。そのオールスター競輪絡みのエピソードとしては92年名古屋は忘れられません。この年、我々の九州地区にはデビュー3年目で日本選手権競輪(通称ダービー)を制した吉岡稔真が注目を集めていました。彼も私も勝ち上がり、優勝戦を迎えます。

 私は41期で34歳。ベテランの域に入り、当時はレベルが高い65期勢、若い世代の波が一気に押し寄せてきている感じでした。この時、直木賞作家の伊集院静さんが大阪版のスポニチのコラムで「吉岡が勝機をつかむために一番大切な事は、常に先陣を切って走っておくことだろう」と書かれていました。まさに、その通りで私も同じ気持ちでした。出走前、稔真に「落ち着いて自分の力さえ発揮すれば、優勝は、おまえか俺か、どっちかになるから」と話しました。稔真が勝負どころで一気に前へ駆けてくれれば私も一生懸命2番手で仕事できますが、彼もダービーを獲った年だし、相手にかなり警戒され、思うような競走ができない感じでした。

 優勝戦、4つのラインに分かれた戦いになり、鐘(ジャン)が鳴りました。

 1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。

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