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【我が道 井上茂徳⑫】格式高い「ダービー」初制覇

 82年、おかげさまで賞金王となり、迎えた翌83年3月。この年最初に迎える特別競輪、第36回日本選手権競輪。出場する全選手が気持ちを込めて挑んでくるビッグレースです。日本一を決定する一番格式高い大会。競輪選手はもちろん、競馬騎手、ボート、オートレーサーも通称ダービーと付く大会となれば一度は絶対、獲りたいと願う戦いです。

 当時の前橋は現在のドーム前の道路を隔てた向かい側にあった競輪場で400走路。オールドファンの方なら、ご存じだと思います。

  私はこの年、3着、2着、1着で勝ち上がり、このシリーズは一戦ごとに脚が軽くなっていく感触がありました。いいところまで行けるかなという感じで優勝戦を迎えました。ベストナインは次の通り(※上から枠番、車番、選手名、登録地)。

1❶吉井 秀仁(千葉)
2❷山口 健治(東京)
3❸中野 浩一(福岡)
4❹荒川 玄太(宮城)
4❺竹内 久人(岐阜)
5❻石川 浩史(愛知)
5❼亀川 修一(兵庫)
6❽藤田 朝弘(静岡)
6❾井上 茂徳(佐賀)

 このレース、九州は中野さんと2人だけ。後ろには41期同期の亀川修一が付いていました。

 号砲と同時にオイ(私)が飛び出して、S(スタート)を取りにいって、中野さんを迎え入れる。対戦相手を見れば、前から攻める方がいいと判断しました。相手はフラワーライン(※千葉・房総半島の南部にある道路で練習していた選手グループのこと)、38期同期の吉井さんに、ヤマケン(山口健治)さん。あとは中部勢でした。

 吉井さんが正攻法の中野さんを内へ閉じ込めるように攻めてきたところで打鐘(※残り1周の合図)。そこで後方に構えていた中部勢2人が一気に飛び出し、我々、九州勢は5番手と6番手。前とはだいぶ距離があるなと見ていました。これは追いつけんねーと感じましたが、中野さんは最終2コーナー過ぎから一気に捲り上げ、前を全部捉えていく。最終3角過ぎに一瞬、中野さんから離れたけど付いていけば、あとは楽になると思っていました。中野さんの加速が終われば、オイの方に余裕が生まれてきますから。

 ゴールは中野さんをかわして1着。初めてダービー王になりました(※枠番連勝単式6―3 610円)。前年に競輪祭を優勝し、続く大きい大会。しかも日本一を決めるダービーですから感無量。うれしかった。一度ダービーを獲れば、もう一回獲りたい。あの感動をもう一度味わいたいと思いましたが、ダービー制覇は25歳の時の、この1回だけでした。

 1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。

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