ニュース&記者コラム

【我が道 井上茂徳⑬】怪物滝沢を封じ全冠制覇王手

 83年前橋ダービーで優勝し、84年と85年の小倉競輪祭は連覇。ラインの結束力があったからこその勝利でした。

 翌86年、前年から創設された第2回全日本選抜競輪を振り返ります。39年前です。第1回の初代優勝は同県の後輩・佐々木昭彦(43期)。前年の昭彦に続いて、オイ(私)も頑張っていこうと思っていました。

 この年の開催地は熊本県水前寺にある熊本競輪場。24年7月にリニューアルし400走路となっていますが、我々が走っていたころは500走路。最終4コーナーを回ってからは〝滑走路〟と言われたほど直線が長く、ごまかしが利かないバンクでした。

 86年第2回大会は真夏の開催で本当に暑かった。連日35度だったでしょうか。開催中ずっと洗濯していた記憶があります(笑い)。

 勝ち上がりは1着、1着で来て準決勝は岡山の本田晴美(51期)と連係。うまく駆けてくれて、私が差してワンツー。決勝は西がハル(本田晴美)と2人。東が7人。決勝メンバーは次の通りです。

1❶滝沢 正光(千 葉)
2❷井上 茂徳(佐 賀)
3❸菅田 順和(宮 城)
4❹高下 堅至(静 岡)
4❺尾崎 雅彦(東 京)
5❻戸辺 英雄(茨 城)
5❼山口 健治(東 京)
6❽藤巻  昇(北海道)
6❾本田 晴美(岡 山)

 この年、怪物と言われた滝沢正光(43期)は日本選手権競輪、高松宮記念杯を優勝し、特別3連覇が懸かっていて、脅威には感じてました。展開はハルが後ろ攻めからうまく抑えて、先頭誘導員の後ろに入ってくれた。どんどんスピードが上がり最終2角あたりからハルが発進。正光は6番手。オイが絶好の展開。ハルのスピードがよく、正光も捲ってこない。長い熊本の直線はどこからでも突っ込める競輪場ですから、内を締めて外も警戒しながら1着ゴール(※枠単2―4 1490円)。完全優勝で上がりタイム13秒7は当時のバンクレコードでした。ゴール後は正面スタンドのファンに向かってヘルメットとユニホームも脱いで投げてファンサービスたい。

全日本選抜競輪優勝を報じるスポニチ紙面
(86年8月6日付)

 この開催時、地元の誘導部屋にはデビュー当時からお世話になった同期恩田繁雄(東京41期)の兄、恩田勲(熊本26期)さんがいて心強かった。「シゲ、良かったね」。基本から全て教わった先輩です。勲さんの奥さんは料理上手で、おいしいものをいっぱい食べさせてくれました。勲さんの地元で少し恩返しができて良かったです。

 そして前で頑張ってくれたハルのおかげ。これで当時の5大タイトルのうち4つ(オールスター、日本選手権、競輪祭、全日本選抜)が獲れて残すは高松宮記念杯。グランドスラム(全冠制覇)に王手をかけました。

 1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。

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