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【我が道 井上茂徳⑰】宮杯決勝へ九州勢4人残った

 88年のエピソードに入ります。ここまで特別競輪はオールスター競輪(81年)、競輪祭(82、84、85年)、日本選手権競輪(83年)、全日本選抜競輪(86年)、4つのタイトルを獲ることができました。ビッグタイトルは6回優勝。86年にはKEIRINグランプリ制覇。当時5大競走で残すのは高松宮杯競輪(通称宮杯)だけになりました。

 87年の宮杯は決勝で滝沢正光にジカ付け(直接後ろに付くこと)。グランドスラム(5大競走制覇)が懸かっていましたが2着。正光は芸術の域まで達しているかのように強かー(笑い)。ただ、振り返ると自分自身もグランドスラムを意識し過ぎていたのでしょう。「無心」で挑むということが大切と実感しました。

 迎えた88年、正月から宮杯に照準を合わせて、自分なりに考えた練習方法に徹しました。おい(私)は体が大きい方じゃなかばってん、いつも付き合ってくれる父の車誘導や街道練習、走り込みで鍛えるしかなか。あとは対戦相手をよく見て、戦略を考えていました。

 6月、初夏を迎える大津びわこ競輪場の宮杯。この大会は東西対抗戦で決勝までは西日本同士で勝ち上がっていく方式。ポイントとなったのが準優の西日本王座でした。メンバーは次の通り。

1❶今村 保徳(福岡・49期)
2❷佐々木昭彦(佐賀・43期)
3❸中野 浩一(福岡・35期)
4❹松枝 義幸(岡山・47期)
4❺井上 茂徳(佐賀・41期)
5❻富原 忠夫(徳島・43期)
5❼片山  彰(福岡・52期)
6❽松本  整(京都・45期)
6❾佐々木浩三(佐賀・50期)

 出走中、九州勢が6人。記者さんもファンの方も、どう並ぶのか興味津々だったと思います。東日本勢とぶつかる決勝に進出するためには4着権利(※あと東西王座戦の5着から1人)。我々は戦えるラインで大一番に挑みたい。その一心でした。

 西王座戦は最後の残り1周、徳島の富さんこと富原忠夫さんがドーンと逃げて、2番手が富さんと43期同期の(佐々木)昭彦。3番手に昭彦の弟(佐々木)浩三。その4番手に中野さん。おいは、その後ろ5番手。勝負どころで中野さんの位置に岡山の松枝義幸が外から追い上げて併走。ガチャガチャ音を立てながらやってました。オイは後ろで様子を見て、とにかく中野さんに決勝に乗ってもらいので、頑張ってーと見てました。

 今だから書けますが、オイの後ろにいた福岡の今村ヤスは、中野さんが競られているしヤバいと思ったのか「(先に)行ってー、行ってーっ」とささやいてましたが…。結果は展開が向いた佐々木兄弟のワンツー。1着浩三、2着昭彦。オイは中野さんの動きを見ながら、びわこの〝花道〟と言われるコースだけを踏んで3着。4着中野さん、5着富さんも決勝戦へ。宮杯4連覇が懸かる東の王者(滝沢)正光との対決を迎えます。

 1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。

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