
88年(昭63)6月7日、大津びわこ競輪場の第39回高松宮杯決勝戦。通称・宮杯の成績は81、87年の準優勝2回が最高。デビューして約10年間獲れなかったタイトルです。
年明けの練習から宮杯一本で頑張り、グランドスラム(5大特別競輪制覇)達成は全ての面でかみ合った時と思っていました。決勝戦のメンバーは次の通りです(※左から枠番、車番、選手名、登録地、期別)。
1❶井上 茂徳(佐賀・41期)
2❷馬場 進(千葉・49期)
3❸中野 浩一(福岡・35期)
4❹佐々木浩三(佐賀・50期)
4❺小磯 伸一(福島・47期)
5❻富原 忠夫(徳島・43期)
5❼滝沢 正光(千葉・43期)
6❽高林 秀樹(群馬・50期)
6❾佐々木昭彦(佐賀・43期)
東西対抗戦で西日本5人。最高のメンバーがそろった。対する滝沢は野性味たっぷりで相当強い。ただ競輪は個の力がいくら強くても勝てない。ラインの結束力が一つになれば、怪物といわれる男が相手でも止めることができる。このラインで勝てなかったら滝沢にはもう勝てないと感じていたほどです。
この大会、東日本二次予選で、滝沢は上がりタイム(※500バンクの残り半周)で当時の日本記録(13秒49)を叩き出し、調子はかなり良かったですね。
車券は宮杯4連覇がかかっている滝沢からマークする馬場進への枠単5―2が1番人気。選手控室にはモニターがあり、選手全員オッズは見てます。特に本命選手。責任を持って走るという定義付けがありますから。
ファンの大切なお金がかかっている。私はどんな展開になってもゴールまで全力を尽くします。1着が獲れなくてもファンに失礼のないように走ることを常に心がけていました。
グランドスラムをかけて宮杯に挑む筆者 滝沢は宮杯4連覇がかかっていた
決勝戦、西日本の並びはすんなり決まった。徳島の富原さんが「前でやる」と言ってくれて中野さんが2番手。私が3番手。4、5番手を佐々木兄弟(兄・昭彦、弟・浩三)が固めてくれました。
この年(88年)5月までの成績を記者さんが調べてくれて勝率67%、連対率80%、優勝回数5回。対する滝沢は優勝9回。タイトル数はオイ(私)が6回、滝沢が8回。
ファンの方も、この数字を見れば力関係は理解していただけると思います。しかし競輪は続けて勝てるほど甘いものではありません。人間の情が走るヒューマンギャンブルです。
大津びわこに観衆約1万8000人、感謝の一言です。決勝の号砲が鳴り、怪物・滝沢擁する東日本との戦いが始まりました。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。