
今から37年前、1988年(昭63)12月30日、立川競輪場の第4回KEIRINグランプリの振り返りに入ります。優勝賞金が1700万円に増額。入場者数は3万8000人超え、GPの売上額が約57億円。競輪を知らない方でも、この競輪グランプリだけは見る、車券を買うという方が増えてきた時代でした。
私は直前の佐世保記念で落車し、肋骨にヒビが入る負傷。でもGPは一発勝負。調整が難しい状況でしたが、慌てず、じっくり脚をためていけば〝やれるばいっ〟と思っていました。出場メンバーは次の通り(※上から枠番、車番、選手名、登録地、期別)。
1❶滝沢 正光(千葉・43期)
2❷山口 健治(東京・38期)
3❸中野 浩一(福岡・35期)
4❹佐々木昭彦(佐賀・43期)
4❺坂本 勉(青森・57期)
5❻佐古 雅俊(広島・45期)
5❼井上 茂徳(佐賀・41期)
6❽本田 晴美(岡山・51期)
6❾馬場 進(千葉・49期)
当時30歳。グランドスラムを達成した年です。最後はきっちり締めくくりたいという思いは当然ありました。どんな展開になっても諦めないぞ、と強く誓ってました。
レース展開は残り2周過ぎからロスの超特急といわれた坂本勉君(※84年ロス五輪スプリント銅メダル)が主導権を奪いました。マークが山口健治さん。残り1周、3番手以降がインに(滝沢)正光―馬場進―(佐々木)昭彦、アウトに本田晴美―佐古雅俊。我々、九州勢は後方。ここで一列棒状になっていたら最悪の展開でしたが中団が併走している。中野さんが仕掛けてくれると信じ、脚をためていました。自分の回転が軽かったので脚を使っていない中野さんはもっと軽いはず。
最終バック線過ぎから中野さんが踏み込み直線を迎えます。逃げた(坂本)勉の掛かりがいい。展開は山口健治さんに向いてましたが、私が中野さんのスピードをもらって外から一気に踏んで1着(※枠単5―2 2710円)。2度目のGP優勝と、再び年間獲得賞金1億円超えでした。
88年のKEIRINグランプリを制し仲間に胴上げされる
確か86年あたり、先輩・大和孝義さん(山口・26期)の紹介で防府市内の酒場で出会った作家・伊集院静さんが、この日の立川競輪場に来ていることを感じてました。そこで正面スタンドの来賓席を見上げると先生の大きな姿が見えて、手を振り、応えた記憶があります。表彰式が終わり、GPに出場した選手から胴上げをしてもらったんですが、肋骨を傷めていたので、うれしいけど「イタイ、痛いっ」(笑い)。忘れられない大一番でした。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。