
「我が道」佳境に入ってきました。「毎日見てるたいっ」と声をかけて頂き、うれしかー(笑い)。ばってん、あの事、競輪ファンが大騒ぎした例の件を触れない訳にはいかないでしょう。カンの鋭い方なら「アレたいっ。91年7月ふるさとダービー福井2日目ばいっ」と感じているでしょうね。もう34年前、終わったことですが「あの競り(先行選手の2番手を取り合うこと)の話、聞いたことあります」と耳にするので、その真相を…。
発端は91年3月末、愛知県一宮競輪場で行われたダービー(※日本選手権競輪)の準決から決勝にかけての事です。オイ(私)は準決勝最終11Rに出走しました。メンバーは次の通り(※左から枠番、車番、選手名、登録地、期別)。
1❶尾崎雅彦(東京・39期)
2❷松本聖志(岐阜・53期)
3❸井上茂徳(佐賀・41期)
4❹江嶋康光(福岡・39期)
4❺滝沢正光(千葉・43期)
5❻笹森克也(千葉・45期)
5❼小橋正義(岡山・59期)
6❽小川博美(福岡・43期)
6❾細川貴雄(愛知・53期)
並びは数字(車番)で書くと❷⑨❺①⑥❼③⑧④
(※白抜き数字が仕掛ける選手)
オイが33歳。今スポニチでビッグレースの決勝で予想コラムを書いている小橋正義君が23歳の時。この頃、正義は自力基本の戦い。当時岡山所属ですが、ウチのところ(佐賀)に練習に来ていたんです。今、場所中の大相撲に例えると出稽古。オイが激しい練習をするけん、その噂を聞いて「行っていいですか?」「来たらよか」。
同じ釜の飯を食べた後輩ですから九州地区に先行選手がいない番組なので西で連係したわけたい。
正義君、男気あるばい。対戦相手は、おいの次、90年にグランドスラムを達成した滝沢正光。正義は直前の西宮記念を優勝したとはいえ相手は横綱。それでも怯まず、全力で先行した。捲ってきた地元地区・松本―細川に体をぶつけ、正光も捲れず不発。その頑張りがあり、九州勢で1、2、3着。決勝に勝ち上がった。オイは2着でしたが…。
小橋正義のおとこ気先行のおかげで九州勢1~3着となったのですが…
一宮は引き揚げる通路から検車場までの道程が長く、先に決勝を決めた2人(中野浩一、平田崇昭)を含め、九州5人となり「どう並ぶか…」と考えながら戻っていました。
その後「久留米4人(中野、平田、小川、江嶋)でまとまる」という話を聞いて「はぁ?」。オイと縁がある正義が頑張ってくれたから後ろ2人(小川と江嶋)が決勝に乗れたんでしょ。九州は一つじゃなかと。温厚な私も「カチーン」。読む方は面白くなってきたでしょ。続きは明日、書きます。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。