
①本田博さん
96、97年あたりを思い出します。この2年はいい年ではなかった。レース以外のことでは97年1月末、好青年・本田博君(67期、引退)=写真①=の結婚式があり出席しました。ヒロシはS級在籍時、オイ(私)がマークした時、よく頑張って先行してくれました。その時に撮った思い出の一枚=写真②。オイの右がスポニチ西部総局、今も現役、同級生の岡崎兼治記者。ケンちゃんもスポーツマンで全国青年大会、バスケットボール部門、福岡県代表として出場し全国優勝。その左側で笑っているのが作家・伊集院静さんです。
②左から伊集院静さん、筆者、スポニチ岡崎記者
86年に山口県防府市内の酒場で出会ってからのお付き合い。先生も本田君のお祝いなら…と宮崎県まで来てくださった。92年「受け月」で直木賞を受賞された時には、記念に江戸文字であしらった額=同③=をプレゼントしました。
③筆者が伊集院静さんに贈呈した額
ここで結婚式絡み、先生のエピソードを。95年6月5日、競馬界のスーパースター武豊騎手と元タレント佐野量子さんの挙式があり、その立会人が伊集院さんと女優の篠ひろ子さん。オイは6月1日から高松宮杯に出走中。先生が開催中は連日、大津びわこ競輪場で観戦していることは宿舎でスポニチ大阪版のコラム(浪漫ギャンブラー)を読んでいたので分かっていましたが、5日は豊君の結婚式。この日だけは伊集院さん競輪場には来られんもんね、と思っていたら後日、記者さんから「礼服のまま(京都から大津に)戻ってきましたよ」と知りました。主役のプリンス、プリンセスもビックリしたでしょ。立会人が消えた(笑い)。心底、競輪を応援し、大好きだったことが分かっていただけると思います。先生、本当にありがとうございました。
④吉岡稔真さん(左)と筆者
デビュー20年を迎えた98年、オイは40歳。ずっと激しいレースを続けてきたのでケガは絶えない。その陰で支えてくれたのが平松克輝先生。現在、佐賀県小城市、医療法人「ひらまつ病院」の理事長。スポーツが大好きで「ひらまつ病院」では地域に元気と勇気を、というテーマでアスリートチームを結成。野球部、陸上部、バスケットボール部、柔道部もあります。その先生がオイのために選手生活20周年パーティー発起人代表となり、佐賀市内で開催されました=同④(左は吉岡稔真)。たくさんの関係者に来ていただき、伊集院さんも足を運んでくださいました。
お二人の先生には、感謝の言葉しかありません。
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。