
最終回直前。先週、リョウちゃんこと東京本社競輪担当・中林陵治記者から連絡があり「我が道、延長してくれませんか」と言ってもらって、うれしかー。あと2回、きれいに締めくくりましょう。
引退セレモニーで愛娘が花束を贈ってくれました
大きいタイトルの最後が94年KEIRINグランプリ。その翌95年4月から競技規則が変わったんです。マーク選手にとっては厳しいルール(※接触プレーの制限を厳しくするもの)でした。先行選手と連係する時、気持ちとしては「後ろから誰か来ても宿舎の風呂場まで持っていくけん(笑い)」。それができない。激しい競走をすると違反点が加算される。39、40歳あたりから落車や骨折も続きました。
特別競輪の優勝争いから離れている。体調もなかなか戻らない。調子の波も大きい。違反点の兼ね合いで、99年4月からS級2班に降格する。考えた末、家族に本心を伝えました。同年2月、伊東記念が終わって女房に「引退する」。子供は4人いるんですが、下2人の女の子は、まだ小さい頃で「競輪選手を辞める」と話すと「ラッキー」。これから遊んでくれると思ったんでしょう。
①次女さやかさんの店「クリームスタンド モフ」にて
今は2人とも嫁いで次女さやかは、佐賀県神埼市でソフトクリームとクレープの店「クリームスタンド モフ」=写真①、三女・倫子(みちこ、作家・伊集院静さんが名付け親)の旦那が佐賀市内で「やきとり一新」=同②=をやってます。おいしいですよ。今ではオイの癒やしの場所たいっ。
②「やきとり 一新」屋号
話はそれましたが、26年前に戻ります。99年3月23日、都内ホテルで記者会見。引退発表をした後、25日から始まる静岡・日本選手権に出走することへ賛否両論がありました。ただオイの気持ちは「21年間応援してくれたファンに最後の姿を見届けてほしい」の一心でした。
迎えた静岡ダービー、さすがに緊張してました。結果は7着→3着→6着→7着。
最後のレース(5日目、3月29日)が終わって引き揚げる時、ファンの方が拍手で出迎えてくれて、敢闘門近くで待っていた佐々木昭彦(佐賀43期)の涙を見たら、我慢していたけどダメでした。高校の時からの付き合いですから。
燃え尽きた。出場選手、家族に見守られ、引退セレモニーまでしていただき感動しました。翌30日、静岡ダービー決勝で神山雄一郎君(栃木61期)がオイ、滝沢正光に続く3人目のグランドスラム達成。いい花道になりました。21年間の選手生活に悔いなしです。
神山雄一郎さん
1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀市出身の67歳。競輪学校41期生として78年5月デビュー。GⅠ通算9勝。KEIRINグランプリは3度優勝(86、88、94年)。代名詞は鬼脚。99年3月31日引退。通算1626戦653勝。優勝回数154回、獲得賞金15億6643万円。現在、スポニチ評論家として活躍している。