7日決勝の立川記念は清水裕友が優勝。新年初の記念は番組(勝ち上り)が変わったことも注目された。
記念競輪は売り上げ低迷が続いたことで改善策の1つとして番組に着手。初日は特別選抜予選が3→1、一次予選が9→11に変更。理由は初日特選3レースの売り上げが(同じ顔ぶれが多く)伸び悩んでいたこと、また一次予選11レースにしっかりした軸の選手がいることで買いやすくなる。
2日目は二次予選Aが4レース、二次予選Bが3レースに変更。初日特選の9選手は二次予選Aに進むことで5着でも(6着1人)準決勝進出というアドバンテージがある。この5着権利が展開推理に微妙に影響する。今後の記念競輪の売り上げの推移を見てからになるが、初日の一次予選11レースは絞りやすかった。
ただし初日特選1レースは来年までに限る。来年の東京五輪までは新田祐大、脇本雄太らが自転車競技中心になるため記念の出走はほぼない。しかし東京五輪後に復帰すれば初日特選1レースにS班が半数近く出走、同じ顔ぶれが続くことになる。今から新番組を想定して備えておくべきだ。
「平成を振り返る」は平成7年の1995年。3月松戸ダービーは小橋正義(当時岡山=引退)が前年静岡に続くダービー連覇。6月の高松宮杯は神山雄一郎(栃木)が連覇。7月の青森全日本選抜は神山がV。ちなみに当時(85~00年)の全日本選抜は〝真夏の祭典〟が枕言葉だった。
9月の熊本オールスターは高橋光宏(群馬=引退)が2度目の特別V。10月の寛仁親王牌は小橋が優勝。小橋は親王牌と相性が良く(4回優勝)〝ミスター親王牌〟と呼ばれた。11月の競輪祭は神山が優勝を飾り、この年3度目の特別V。
そして「競輪界初の2億円」を懸けて挑んだ立川グランプリは宿命のライバル・吉岡稔真(福岡=引退)が優勝。吉岡は9月の世界選手権で落車、鎖骨骨折。復帰戦の大舞台で鮮やかに蘇り、ファンの〝吉岡~〟の絶叫が響き渡った。
♤中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の56歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に小橋正義(引退)ら59期生のデビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋31年。平成7年一番の思い出レースは熊本オールスター。