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【記者コラム】大病克服した吉岡氏「今年は多くの競輪場に」

 「いいレースでしたね…」。KEIRINグランプリ2025直後、本紙評論家の吉岡稔真氏がつぶやいた。吉岡氏と一緒にレースを見たのは久しぶり。競輪学校65期卒業記念レース当時から吉岡氏を知る私としては回復ぶりを直接感じたことでホッとした。

 吉岡氏は24年2月に脳梗塞を発症した。吉岡氏の本紙コラムの休載が続いたこともあり関係者、選手に「吉岡さんはいかがですか?」と尋ねられる機会が多かった。私は弟の啓史氏(75期=引退)を通して都内の入院先を訪ねていたが、吉岡氏の症状を他言することはしなかった。

 吉岡氏は24年7月、「吉岡稔真カップ」の開催に間に合うように退院した。その後は地元小倉でリハビリを続けて昨年11月の競輪祭から本紙コラムも復活。昨年末の平塚グランプリシリーズは弟子の阿部英斗(21=福岡・125期)の応援もあり退院後に初めて新幹線に乗って遠征。そして小倉以外の競輪場を初めて訪れた。

 平塚競輪場は吉岡氏の思い出も多い。平塚でのグランプリ開催は昨年が節目の10回目だったが、2回目の開催となった92年の平塚グランプリで優勝したのが同氏だ。当時22歳。3月に日本選手権、11月に競輪祭、そして初出場のグランプリを制した。年間獲得賞金は1億9002万円。当時の記録を約6000万円も塗り替えて〝新星・吉岡〟を強烈に印象づけた年だった。

 記者席の窓から大声援が沸き起こる平塚バンクを見ながら「今も(歓声が)凄いけど自分の時は地鳴りがしていました。やはりグランプリはいいですね…」。吉岡氏だからこその言葉。

 吉岡氏は「リハビリに励んで、今年は多くの競輪場に足を運びたいと思っています。そして心配してくれた方々に直接、御礼を言いたいと思っています」という思いも語ってくれた。

 ◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)熊本県八代市出身の63歳。慶大卒。87年5月の花月園新人リーグ(59期生)で競輪記者デビュー以来、現場取材一筋38年。デビュー戦から見た選手で最強は神山雄一郎、最速は吉岡稔真。

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