取手ウィナーズカップは脇本雄太(35=福井)の優勝で幕を閉じた。ウィナーズCはGⅡでグランプリには直接関係ないが脇本の賞金順位は4位に浮上した。
決勝戦は近畿の結束力を見せつけた。中でも3番手の古性の仕事ぶりがひときわ光った。脇本―古性の並びで脇本が後方から捲るレースなら古性の仕事は追走専念。しかし取手決勝戦はスタート取りに始まり、道中の外のけん制、最終4コーナーで外の北井をさばいたことで北井の外の清水も失速。タテとスピード主流の現在、古性は「横の仕事人」も改めて印象づけた。
準決勝は落車が続いた。これは〝何が何でもビッグ決勝戦へ〟の強い思いでイチかバチかのコース取り、突っ込みがあるからで仕方ない面もある。2月の岐阜全日本選抜準決勝でも後方から突っ込むレースが続いた。しかし、この迫力がビッグレースの見どころ。
ただし取手ウィナーズカップの落車は選手がいつも「9車立て」を走ってないのも一因。FⅠ戦の7車立ての斡旋が多い選手は実力者ぞろいの9車を走り慣れていない。ウィナーズCの選考基準の一つに〝1着回数の多い〟があるが、その1着はFⅠ戦の7車立てが主戦場。「S級は9車」であればビッグレースでの落車が現状より減ると推理する。落車で車券が外れるのは同じ外れでもガッカリ度が違う。
ウィナーズCは8回目を迎えて定着してきた。昨年7~12月に〝1着回数の多い〟選手は車券に貢献したのだから大会の特徴として選出される。しかし平原康多、郡司浩平が出場できないのはビッグとして物足りない。昨年7~12月のSSは戦う舞台の相手が違う。GⅡはグランプリに直接関係ないだけに選考基準、勝ち上がりなど柔軟に変更するべきだ。「選考期間にSS在籍」を加えるだけでいい。過去のGⅡ、ふるさとダービー、東西王座戦、年に2回の共同通信社杯も何度か見直されている。
◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)生まれ、熊本県出身の61歳。慶大卒。87年4月入社、同5月の花月園新人リーグ(59期生)で競輪記者デビュー。井上茂徳の鬼脚、滝澤正光の先行に即、魅了された。以来、現場取材一筋37年。