来期A級降格 半年進退熟考
88年5月にデビュー。スター街道を自らのペダルで駆け上がり、王者として君臨した神山が引退を表明した。
「私、神山雄一郎は昨日(24年12月23日)の取手を最後に引退する決意をしました」。取手競輪のS級戦で1着、通算909勝を挙げた。56歳の年齢でも“まだやれる”脚力を見せたばかりだった。
来期(来年1~6月)のA級降格が決まっていた。今年7月から「(来期A級で進退は)どうするかな。基本的に競輪が好きだし、できることなら一生競輪をやりたい。でも選手である以上、いつかは引退する…」と揺れ動いた半年を振り返った。
選手の先輩、栃木県の選手仲間、関係者、ファンに感謝の気持ちを表した後には「競輪場の宿舎で働いてくれている皆さまにも本当にお世話になりました」と続けたのが神山らしい。
引退を表明した神山は会見で言葉を詰まらせ涙を流す
56歳涙の会見 プロ36年現役最多909勝
36年8カ月の選手生活で909勝。「競走のレベルにかかわらず、うれしい1勝はたくさんある。中でも一番印象に残るのは地元宇都宮のオールスター(93年9月)。初めての特別競輪(GI)優勝でうれしかった」。飛躍する1勝だった。
この優勝からG1優勝は16回を数え、滝澤正光氏(日本競輪選手養成所所長)の持つ12回の記録を塗り替えた。99年には史上3人目のグランドスラム(特別競輪=G1全冠制覇)も達成。「自分でも(16回は)よくやったなと思います。(G1は)決勝を獲らないと、という思いが強かった」
対戦した選手の話になると「素晴らしい選手がたくさんいます」と涙があふれた。ラインを組んだ仲間、死闘を演じたライバルの顔が次から次に浮かんだのだろう。「みんな素晴らしい」と続けた後に「吉岡君に認められる選手になりたいと頑張ってきた」と“東西横綱時代”に戦った吉岡稔真氏(福岡=引退、本紙評論家)の名前を挙げた。
現役最終レースとなった取手7Rを1着でゴールした神山はファンの歓声に応える
GPの〝伝説〟 4年連続2着
神山がグランプリ(その1年間のベストナインによる一発勝負)に初出場したのは91年。46、47歳の14年と15年にもグランプリ出場を決め、25年以上もトップに君臨し続けた。
ただ、グランプリには縁がなかった。95~98年は4年連続2着。2825メートル(当時)のレースで1着に敗れた差は34センチ、67センチ、82センチ、そして17センチ。しかし、「グランプリ4年連続2着」も伝説の一つ。記憶にも記録にも残る神山がバンクに別れを告げた。 (中林 陵治)