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【記者コラム】鶴ケ城本丸跡に建設された「会津競輪場」

 北日本地区で一番最初に開場した競輪場をご存じだろうか。それが「会津競輪場」(33バンク)。1950年から1963年までの14年間、福島県会津若松市で開催されていた。その跡地はどうなっているのだろうか。61年前に消えた競輪場の今を追い求めた。

 福島県西部に位置する会津若松市は戊辰戦争や白虎隊の舞台として知られ、歴史情緒あふれる街並み。JR会津若松駅構内には観光客向けに新撰組隊士の法被を着て記念撮影ができるスポットもある。そんな歴史と伝統が息づく市のシンボルが鶴ケ城。会津競輪場はこの本丸跡に建設された。

 史跡保存の問題で城外に移転した後、全国的な公営ギャンブル批判で廃止に。跡地には鶴ケ城体育館が建てられた。体育館を訪れると入り口から「キュッキュッ」とシューズと床が擦れる高い音が聞こえる。今は市民がスポーツで汗を流す憩いの場としてにぎわう。管理人の方に話を聞くと、競輪場があった形跡は残されていないという。記者はさらに歴史を探るため市立会津図書館へ足を運んだ。

 書籍を読みあさると興味深い事実を知った。なぜ鶴ケ城の本丸にバンクを建設したのか。それは当初の工事費を縮小するためだったのだ。バンクに似ているすり鉢状の形状をした本丸を使うことで、工事費が当初の見積もりから3分の1まで圧縮。競輪開催による収益金で小中学校の校舎が建てられ、鶴ケ城の石垣や橋の修理にも充てられた。

 会津競輪を実際に走ったことがある元選手にもたどり着いた。「元祖ミスター競輪」の阿部道さん(76、宮城=23期)。阿部さんは「高校生の時に走ってんだ。ぺんぺん草が生えてたっけな」と独特の口調で当時を懐かしむ。もし今も開催していたら…。会津若松市出身の新田祐大が地元エースとして盛り上げていただろう。そんな世界線を空想すると、心の中で鐘が鳴り響いた。

 ◇小野 祐一(おの・ゆういち)1983年(昭58)10月26日生まれ、秋田県出身の40歳。06年スポニチ入社。青森競輪場がかつてあった合浦公園、花月園競輪場の跡地に建てられた鶴見花月園公園も取材。跡地巡りでノスタルジックな気分に浸るのが好き。

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