8日決勝の日本選手権競輪は脇本雄太(33=福井)の優勝で幕を閉じた。
記者として36回目の日本選手権決勝は脇本の圧倒的な強さがひときわ光った。スポニチ評論家の井上氏が振り返ったように〝全盛時の滝沢正光〟を思い出した。87年(昭62)の滝沢の年間勝率は・800。当時は滝沢を倒すために別線は2段駆けどころか3段駆けも当たり前だった。滝沢はその包囲網を怪物と評された桁違いの剛脚でねじ伏せていた。
8日決勝は真杉―平原が先行。清水も脇本を後方に置いて5番手を確保。脇本を倒し、自らが勝利に近づくためにおのおのがセオリー通りの展開に持ち込んだ。清水が捲ると平原も合わせて踏み込んだ。しかし脇本のスピードは違った。今ダービーの決勝は車券が外れたファン(私は平原の頭勝負で外れ)も脇本の前に潔い負けだったのではないか。
7番手に下げて捲った脇本のスピードは吉岡稔真も思い出させた。92年3月の前橋でデビュー史上最速のダービー制覇(当時21歳)を飾り、ダービー通算4勝を挙げた吉岡も速かった。FⅠ先行と評される逃げに持ち込めないケースは脇本同様に下げて捲りだった。
ちなみにGⅠ16勝のレジェンド神山は位置取りもこなせるセンスで後方に置かれるケースは少なかった。常に中団以内から状況に応じて的確に仕掛けていた。
やはりGⅠ最高峰のダービーは面白い。出場選手数は162人でGⅠ最多。これは記者デビューした36年前から変わらない。また勝ち上がりのシビアさも日本選手権ならでは。3、4日目に行われた二次予選7レース(3着4人が準決勝)では初戦が特選スタートの選手のみ勝ち上がり、一次予選から①③着は準決進出を逃した。ダービーの勝ち上がりは3連単の車券に直結するから分かりやすい。
6日制に戻した競輪祭、オールスターも出場選手を増やせば勝ち上がりがシビアになり車券に直結する。売り上げが復調気配の現況なら選手数も増やせるはずだ。
◇中林 陵治(なかばやし・りょうじ)1962年(昭37)7月13日生まれ、熊本県出身の59歳。慶大卒。87年4月入社、翌5月に小橋正義(引退)ら59期生デビュー戦(花月園新人リーグ)で記者デビュー。以来、競輪の現場取材一筋36年目。9車の勝負レースは5車の結束、番手捲り、競り。