4人合わせて賞金70億円―。グランプリ優勝も合わせて10回という実績を誇る井上茂徳(60)、小橋正義(51)、山田裕仁(50)、吉岡稔真(48)の4氏が「KEIRINグランプリ」を語る。今年が平成最後となる輪界最高峰のレース。それぞれが熱い思いを吐露した。

 

井上 私は85年(昭60)の第1回のグランプリ(GP)に出場。当時は優勝賞金1000万円のお祭りレースみたいな感覚だった。しかし走り終えた瞬間に「GPはグレード制の最高のレースになるな」と強く思った。
   
小橋 僕は91年(平4)に初出場。GPはテレビで見るレースだったが、自分があの舞台に立てたことで「選手になって本当に良かった」と思った。あとファンの声援というより地響きが凄かった記憶が強い。
   
吉岡 僕は91年はGPシリーズのS級戦「阿佐田哲也杯」に出場。S級決勝戦からGPまでの約1時間にファンがどんどんふくれあがっていった思い出がある。〝自分も来年はGPを走る〟と強く思って翌92年に初出場、初優勝できた。
   
山田 僕は92年にGP初出場。少し前の時代はダービーが最高峰だったが、GPが競輪の頂点のレースになった時期だった。GPは朝から競輪場の空気がまったく違った。その雰囲気を味わうと「また出たい」という欲求を強く感じた。
   
井上 GPは回を重ねるごとに重みが出た。トップ選手の1年の目標がGP出場になった。〝GPを走りたい〟という強い気持ちを持ち続けたことが94年の優勝(当時36歳の最年長記録)につながった。正義に「36歳の記録は抜かれないですね」と言われたけど今のベテランは強い。
   
小橋 GPは1年を通した結果で上位9選手が選出される。僕は96年に初優勝できたけど「選手になって幸せ」と感じた。毎年の目標がGP出場だったけど、最後は「10回」という数字も目標に掲げていた。
   
山田 僕は特別競輪の優勝より先にGPを優勝(97年)した。GⅠ優勝の経験がなかったから純粋に「ビッグを勝てた」喜びだった。その後02年と03年に優勝。脚力は20歳代が一番だけど競輪は30歳代がすべての面で充実していると思う。
   
吉岡 僕の2度目の優勝は95年。9月の世界選で鎖骨骨折後の復帰戦だった。その年のGPは神山さんの〝2億円達成〟のムードだった。当時は僕と神山(雄一郎)さんの東西横綱と呼ばれた時代。「僕が勝つ」と強く思って走って結果を出した。
   
井上 GPを走る選手は幸せ。優勝できたら選手冥利に尽きる。GPは発走したら無駄な動きをしないで脚をためて走ることが大事。〝待って、待って、待って踏めばチャンスがある〟。
   
山田 僕は3回目のGP優勝はレースが見えていた。今年のベストナインは年間を通して自分が戦ってきた相手。〝イメージトレーニング〟も必要と思う。
   
吉岡 山田さんと僕は自力選手。GPは1着しか意味がないし仕掛けるポイントがいつもと違う。その仕掛ける位置の見極めが優勝につながると思う。

 

 ♤井上 茂徳(いのうえ・しげのり)1958年(昭33)3月20日生まれ、佐賀県出身の60歳。41期生として78年5月プロデビュー、99年3月引退。通算取得賞金は15億6486万円。GⅠ優勝9回。グランプリ優勝は86、88、94年の3回。

 

 ♤小橋 正義(こばし・まさよし)1967年(昭42)8月18日生まれ、岡山県出身の51歳。59期生として87年5月プロデビュー。17年1月引退。通算取得賞金は17億1073万円。GⅠ優勝8回。グランプリ優勝は96年の1回。

 

 ♤山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)1968年(昭43)6月18日生まれ、岐阜県出身の50歳。61期生として88年5月プロデビュー。14年5月引退。通算取得賞金は19億1782万円。GⅠ優勝5回。グランプリ優勝は97、02、03年の3回。

 

 ♤吉岡 稔真(よしおか・としまさ)1970年(昭45)6月15日生まれ、福岡県出身の48歳。65期生として90年4月プロデビュー。06年12月引退。通算取得賞金は16億8866万円。GⅠ優勝11回。グランプリ優勝は92、95年の2回。