【筋肉】 短大までバレー

無題

(左)幼少期はおてんば(右)中高時代バレーボールに熱中

 元々はバレーボール出身。実業団の西日本銀行でプレーしていた母・真理さんの影響で、中高時代はバレーに熱中した。

 

 佐賀県内の短大に進学後も競技を続けたが、1㍍64とバレー選手としては小柄であることが悩みだった。転機は12年。ロンドン五輪で自転車競技「チームスプリント」をテレビで見て魅了され、自転車挑戦を決意した。

 

 「バレーボールは5セットとかプレーするので、体力があった。元々筋肉が柔らかいので疲れにくい」。かつて悩みの種だった身長も、自転車競技では問題ない。良質な筋肉はペダルをこぐことに適していた。

 

 入学した日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)では記録会で200、400、1000、2000㍍の全4種目で基準タイムをクリア。女子初(当時)のゴールデンキャップ(訓練で着用するヘルメットキャップの最高位カラー)を獲得。在校成績1位で卒業した。

 

 「学校にいる時に東京五輪が決まり、運命だと思った」。ガールズケイリンと自転車競技の両立を心に誓い、プロの世界に飛び込んだ。