さらば、魂の走り――。近畿の総大将として長年、競輪界をリードしてきた村上義弘(48=京都、73期)が9月29日、電撃引退を発表した。グランプリ2勝、日本選手権4勝など、数多くの金字塔を打ち立てたレジェンドレーサー。24日からの地元・向日町記念を欠場して、12日の松阪FⅠ(1着)がラストランとなった。
栄光の軌跡
開催年 | 優勝大会名 | 決り手 | 2着 | 3着 |
2002 | 全日本選抜競輪 | 捲り | 小野俊之 | 戸辺英雄 |
2003 | オールスター競輪 | 逃げ切り | 小野俊之 | 光岡義洋 |
2012 | 第64回日本選手権 | 捲り | 山口幸二 | 兵藤一也 |
2012 | KEIRINグランプリ2012 | 捲り | 成田和也 | 浅井康太 |
2013 | 第66回日本選手権 | 差し | 深谷知広 | 山崎芳仁 |
2014 | 第67回日本選手権 | 捲り | 武田豊樹 | 深谷知広 |
2016 | 第69回日本選手権 | 差し | 川村晃司 | 新田祐大 |
2016 | KEIRINグランプリ2016 | 捲り | 武田豊樹 | 浅井康太 |
9月12日が最後に
魂の走りでファンを魅了してきた村上が、現役を引退をする。29日、JKAを通じて書面で発表した。「14歳の頃から競輪選手を夢見て自転車に乗り始め、引退を決めた今日まで、ただ必死にペダルを踏み続けてきました。これまでの人生の記憶の大半が競輪であり、これから競輪を走らなくなるという生活が、どんなものになるか分かりませんが、自分の人生を救ってくれたと感じている競輪を、これからも心の中でしっかりと応援し続けていきたい」とした。そして「共に戦ってきた競輪選手たち、関係者のみなさま、そして、ずっと村上義弘を応援して支え続けてくれた全国の競輪ファンのみなさまに心からの感謝を気持ちを送りたい。長い間、お世話になりました。ありがとうございました」と締めくくっている。
負傷乗り越え
村上は94年4月に小倉でデビュー。97年のオールスターでGⅠ初出場。00年2月のふるさとダービー豊橋でGⅡを初優勝し、02年の岸和田・全日本選抜でGⅠ初制覇を達成した。ここまでGⅠを6勝しているが、輪界の最高峰GⅠとされる日本選手権競輪を4勝、これは吉岡稔真氏(引退)と並ぶ最多タイの記録になる。グランプリは2勝。12年京王閣では、練習中の落車による肋骨骨折を抱え、単騎の不利を克服しての劇的な優勝だった。
「競輪が人生を救ってくれた」
近年は相次ぐ落車負傷で調子を落としていた。直近のGⅠでは6月の岸和田・高松宮記念杯は落車で途中欠場、8月の西武園・オールスターでも6、7、8、7、7着と精彩を欠いていた。
落車やけがも多かったが、その度に不死鳥のごとく復活。逃げにこだわるレーススタイルを貫いて「先行日本一」と評されたその雄姿を、ファンは忘れることはない。
仲間たちがねぎらい
日本選手権4勝は最多
◇村上 義弘(むらかみ・よしひろ)1974年(昭49)7月6日生まれ。京都府出身の48歳。73期。94年4月小倉デビュー。同月岸和田で初優勝。00年ふるさとダービーで特別競輪を初優勝。02年に全日本選抜を制してGⅠ初優勝を達成。12年に悲願のグランプリを初制覇。16年には4度目の日本選手権Vを決めて、当大会最多タイの優勝記録に並ぶ。同年に2度目のグランプリ優勝を飾っている。通算成績は2236走655勝(GP2V、GⅠ6V、GⅡ5V、GⅢ35V、F118V、F225V)。主な獲得タイトルはグランプリ2回、日本選手権4回、全日本選抜、オールスター。弟は博幸(86期)。1㍍70、75㌔。血液型O。